【ポルシェ図鑑】「ポルシェ 356B 2000GS-GT(1963)」最後のアルミボディを纏った356の最終進化形。

2019/02/03 11:55


1963  Porsche 356B 2000GS-GT

 

 

カレラ・アバルトでの反省から社内で開発。

 

ポルシェ356B 2000GS-GTは、FIAが1962年からスポーツカーのマニュファクチャラーズ・チャンピオンをGTクラスにのみに懸けたことを受け、356B 2000GSカレラをベースに開発されたレーシングモデルである。

 

年々激しさを増すGTレースへの対策としてアバルトとタッグを組み1960年に製作した356B 1600GS カレラGTLアバルト、通称”カレラ・アバルト”はアバルト側の製造体制や品質の不備に加え、Cd値が0.398から0.365と期待ほど向上しなかったこともあり、当座の予定だった21台を作り終えたところで生産を終えることとなった。

 

しかしながら900kgから780kgと120kgもの軽量化を果たしたことによって、1960年のタルガ・フローリオ、ル・マン24時間でクラス優勝を果たすなど、一定の効果があったこともまた事実であった。

 

その後、1962年からレギュレーションが変わり、GTにのみチャンピオンシップが懸けられることになると、500台というホモロゲーションを満たした車両であればボディの換装は自由という規定に則り、ポルシェは再び356のスペシャルモデルの開発をスタートさせる。

 

そのベースとなったのがカレラ2こと356B 2000GS カレラだ。ただしそのボディの開発、製造はカレラ・アバルトでの反省をふまえ、外部に委託するのではなく社内で行なわれることとなった。

 

 

当時、最先端の空力トレンドを採用。

 

ここで参考となったのが、1961年に製作した718GTRクーペだった。356のシャシーに合うようにメカニックたちがクレイを3角スクレーパーで削ってデザインしたことから”3角スクレーパー”と呼ばれた356B 2000GS-GTのボディはオールアルミ製で、フラットなフロントノーズや、のちにフェラーリが250LMや250GTO/64で取り入れる直線的なルーフラインなどは、718GTRクーペから踏襲した当時最先端の空力トレンドを纏ったものとなっていた。またポルシェでは、この後に登場する904から FRPを採用するため、356B 2000GS-GTは彼らが製作した最後のアルミ製ボディをもつレーシングカーともなった。

 

エンジンは155hpにチューンされた1966cc 空冷フラット4DOHC”587/2″ユニット。それ以外の部分は基本的に356B カレラ2に準ずる構成となっており、シャシーナンバー122-991と122-992の2台のみが製造されている。

 

 

ニュルブルクリンク1000kmではクラス優勝を果たす。

 

デビューレースとなったのは1963年5月のタルガ・フローリオで、エドガー・バルト/ヘルベルト・リンゲ組が総合3位、2リッター・クラスで優勝。その2週間後のニュルブルクリンク1000kmでも総合4位、クラス優勝を飾り、モディファイの方向性が正しかったことを証明した。

 

残念ながらル・マン24時間レースでは、ゲルハルト・コッホ/カレル・ゴダン・ド・ボーフォール組とハインツ・シラー/ベン・ポン組が出場するも、それぞれ朝を待たずにエンジン・トラブルでリタイアとなったが、以降のGTレースではクレルモン=フェラン、ニュルブルクリンクなどで優勝。1964年に入っても大排気量マシンに混じりデイトナ2000kmで総合8位、セブリング12時間で総合19位、タルガ・フローリオで総合7位など、356ファミリーの最後を飾るにふさわしい活躍をみせたのである。

 

 

 

1964年のタルガ・フローリオを走るギュンター・クラース/ヨッヘン・ニーアパッシュで総合7位に入った356B 2000GS-GT。前年に総合3位入賞を果たしたシャシーナンバー122-991で、ポルシェ・ワークスからのエントリー。リザーブドライバーとしてフシュケ・フォン・ハンシュタインの名も登録されていたが、ドライブすることはなかった。

 

 

【SPECIFICATION】

ポルシェ 356B 2000GS-GT

年式:1963年
エンジン形式:空冷水平対向4気筒DOHC
排気量:1966cc
最高出力:155hp
最高速度:235km/h

 

TEXT/藤原よしお(Yoshio FUJIWARA)
COOPERATION/ポルシェ ジャパン(Porsche Japan KK)