「ポルシェ 904 カレラ GTS(1964)」鈴鹿を震撼させたポルシェの刺客【ポルシェ図鑑】

1964  Porsche 904 Carrera GTS

 

 

禁じ手のGTマシン

 

356B 2000GS-GTで1963年のスポーツカー・マニュファクチャラー選手権GTIIクラス(1001から2000cc)でチャンピオンを獲得したポルシェが、続く1964年シーズンに向け開発した“禁じ手”のGTマシンが「904カレラGTS」である。

 

連続する12ヵ月間に100台以上が生産されたクルマにホモロゲーションが与えられるGT規定に対し、356Bカレラ2のエヴォリューションモデルとしてボディを換装した356B 2000GS-GTを送り出したポルシェだが、356ベースではその戦闘力に限界があるのは明らかだった。そこでレギュレーションの裏をかき、次期GTの901(911)用に開発していたフラット6エンジンを搭載したレース専用GTを100台生産するという、突拍子もない計画を立ち上げる。

 

ボディは当時最新鋭の素材「FRP」

 

とはいえ、550や718のような鋼管スペースフレームとアルミボディの組み合わせはコストも手間もかかるため、1964年3月31日までに生産台数のノルマを達成することは難しい。そこでハンス・トマラ率いる開発陣にデザイン責任者として関与していたブッツィことフェルディナント・アレクサンダー・ポルシェが提案したのが、当時最新鋭の素材FRPを用いたボディの製作であった。

 

シャシーは簡便ながら強固なH型の鋼板プレス・ラダーフレームとし、そこにFRP製のモノコックシェルを巻きつける形で剛性を確保。また新たな6気筒エンジンの搭載を見越して、ホイールベース2300mm、トレッドはフロント1316mm、リヤ1312mmとされた。

 

サスペンションはフロントにダブルウィッシュボーン、リヤは2本のラジアスアームにアッパー逆Aアーム、ロアIアームを組み合わせた4リンクとなり、ブレーキには前後ともアウトボード式のATEダンロップ・ディスクが装着されている。

 

ホモロゲーション取得に間に合わず・・・。

 

ところが空冷水平対向6気筒SOHC“901”ユニットの開発が遅れ、ホモロゲーション取得に間に合わないことが判明。356B 2000GSカレラGT用の1966cc空冷水平対向4気筒DOHCのバルブ径を拡大するなどのチューンを施し、最高出力を180hpとした“542/3”ユニットが搭載されることとなった。またワークス用に、718 W-RS & GTRクーペに搭載していた1981cc空冷水平対向8気筒DOHCを240psにパワーアップした“771”エンジンを搭載した904/8も2台(1965年に1台追加)作られている。

 

 

デビュー早々に総合優勝を果たす。

 

オーダーが開始されるや否や瞬く間に100台のオーダーが埋まった904(正式名はカレラGTS。以降904GTSと呼ぶ)は、1964年1月から徐々にデリバリーが開始された。いち早く手にしたアメリカのプライベーターたちによってSCCAのローカルレースへ出場した記録が残っているが、国際レースでのデビューとなったのは1964年3月21日のセブリング12時間であった。ホモロゲーションが降りる直前のため、プロトタイプGT3000クラスでの出場となったが、5台出場した904GTSのうちカニンガム・チームからエントリーしたレイク・アンダーウッド/ブリックス・カニンガム組のマシンが総合9位で完走。クラス優勝も果たしている。

 

4月のル・マン・テストデイから904での活動をスタートしたワークスは、月末のタルガ・フローリオに2台の904 GTSと1台の904/8でエントリー。アントニオ・プッチ/コリン・デイビス組の904GTSが総合優勝。ジャンニ・バルザリーニ組の904GTSも2位に入ったほか、エドガー・バルト/ウンベルト・マリオーリ組の904/8も6位に入る大活躍をみせたのである。

 

 

日本では伝説のドラマを生む。

 

そしてこの直後、もうひとつ904GTSの印象的なレースが展開されることとなった。それが5月3日に鈴鹿サーキットで行われた第2回日本グランプリだ。そのメインレースといえるGT-IIレースに、式場壮吉が急遽空輸した904GTS(シャシーナンバー070)がエントリー。予選での大クラッシュ、夜を徹しての修復、そして生沢 徹のスカイラインGT-Bとのたった1周のトップ交代劇など様々なドラマを生みながら、独走優勝を飾ったのである。

 

一方、ヨーロッパではスパ500km、ニュルブルクリンク1000km、ル・マン24時間などで904GTSがクラス優勝したほか、1965年のモンテカルロ・ラリーではオイゲン・ベーリンガー/ロルフ・ビュートリッヒ組がスパイクタイヤを履いて(!)出場。見事総合2位に輝いている。

 

1965年シーズンに向け、ポルシェは待望のフラット6ユニットを搭載した904/6を10台製作。同年のタルガ・フローリオでは、904/8をベースにオープントップに改造された904/8ベルグ・スパイダーが2位、904/6が3位、904/8が4位、904GTSが5位と上位を独占した。

 

そしてこの成功が、後の917へとつながるプロトタイプ・レーシングスポーツの礎となったのである。

 

 

ポルシェ・ミュージアムが所蔵しているシャシーナンバー001の904カレラGTS。このクルマをデザインした故フェルディナント・アレクサンダー・ポルシェの個人所有者で、彼の死後2012年にミュージアムで開催された回顧展で展示された時のもの。904は彼がデザインした多くのモデルの中で最もお気に入りのデザインだったという。

 

 

ミュージアムに常設展示されている904はF1由来のフラット8ユニットを搭載した貴重な904/8。これは1964年のタルガ・フローリオで総合6位、1965年のセブリング12時間で総合9位(いずれもクラス優勝)した経歴をもつシャシーナンバー008である。

 

 

1964年4月26日に行われたタルガ・フローリオでワークスからエントリーし、総合優勝を果たしたアントニオ・プッチ/コリン・デイビス組の904GTS。このシャシーナンバー005はその後もワークスの一員として1966年のセブリング12時間までレース活動を続けている。

 

ドイツから飛来した“黒船”を抜いてトップを走ったことで、生沢 徹とスカイラインの名は広く日本に知れ渡ることになる。そしてこの“904ショック”を受けプリンスはR380の開発をスタートするなど、904は日本のモータースポーツ界に大きな影響を与えた。

 

 

1965年のル・マン24時間で総合4位、2リッター・クラスで優勝を飾ったヘルベルト・リンゲ/ペーター・ネッカー組の904/6。4507.50kmを走り性能指数でも1位を獲得している。リヤカウルのエアインテークが大きいのが904/6の特徴。

 

 

911のレースデビューとなった1965年のモンテカルロ・ラリーに出場した904GTS。ミッドシップマシンながらミニ・クーパーに次ぐ総合2位に入り、GTカーとしてのポテンシャルの高さをみせつけた。

 

 

【SPECIFICATION】

ポルシェ 904 カレラ GTS

年式:1964年
エンジン形式:空冷水平対向4気筒DOHC
排気量:1981cc
最高出力:180hp
最高速度:257km/h

 

 

TEXT/藤原よしお(Yoshio FUJIWARA)
COOPERATION/ポルシェ ジャパン(Porsche Japan KK)