「栄光のル・マン」の撮影車「ポルシェ908/02」の数奇なヒストリー

Porsche 908 Spyder

ポルシェ 908 スパイダー

 

 

マックイーンが作り上げたレース映画の金字塔「栄光のル・マン」

 

ここで紹介するのは「ポルシェ908/02(シャシーナンバー022)」。この通称「908スパイダー」は、1970年のル・マン24時間レースに、スティーブ・マックイーン主演の「栄光のル・マン(Le Mans)」のカメラカーとして実際に使われた車両だ。この「ポルシェ908/02」はマックイーン自身も実戦で使用しており、様々な経歴を辿ったのち、現在のオーナーであるアウグスト・ドイッチュ(写真)の手により、当時のコンディションに戻されている。

 

「栄光のル・マン」は公開したその瞬間からモータースポーツファンの心をがっちりと掴んだものの、一般的な大ヒットに至らなかった。長く日の目を見ることのなかったこの作品は、40年の時を経た現、“カルトクラシック”な一作として高い人気を誇っている。

 

「栄光のル・マン」に関しては、2本の長編メイキングドキュメンタリーがあり、当時の制作風景の状況を細部まで伝えてくれている。そこでは尽きることにない情熱を、作品作りに注ぎ続けるマックイーンの姿を見ることができる。

 

ちなみに、1988年に制作された「フォード・プーマ」のCMには、映画「ブリット」に登場するマックイーンのドライブシーンをCGで合成、彼がまるでプーマをドライブしているような映像が演出された。「栄光のル・マン」のドキュメンタリーには、このCMで見られるようなマックイーンの自動車に対する熱い想いが溢れている。

 

 

今も残る「栄光のル・マン」に登場した名車たち

 

映画のために使用されていた車両は、これだけの長期間が経っていることが信じられないほど、美しいコンディションを保っている個体が多い。

 

例えば、マックイーン演ずるマイケル・ディレイニーが映画の冒頭で美しい風景をバックにゆったりとドライブしていたスレートグレーの「ポルシェ911S」は、新品同様のコンディションで、ドイツのコレクターが所有している。

 

しかし、ピンク・フロイドのドラマー、ニック・メイソンが所有する「フェラーリ512S(シャシーナンバー1026)」のように外観が変更されている車両もある。ライバル車として映画に登場した512Sは、デレック・ベルのドライブで撮影に参加。撮影中に火災に見舞われてしまう。その後、生き残ったシャシーをベースに改めてレストアされた。

 

 

3台の撮影用カメラを搭載してル・マン24時間に参戦

 

「ポルシェ908/02(シャシーナンバー022)」には、撮影のために3台のアリフレックス製カメラが搭載されており、実際に1970年のル・マン24時間レースにおいて、映画用の走行シーンが撮影されている。当時、ドライバーを務めたジョナサン・ウィリアムズは2014年に亡くなっているが、もうひとりのドライバー、ヘルベルト・リンゲは当時のことを昨日のことのように覚えている。

 

「この時の908にはカメラを装着するために追加パーツが取り付けられていて、約40kgも重量が増加していました。でも、カメラ機材の搭載によってクルマのバランスが崩れたり、スピードが落ちることはありませんでした。この事実に対して、いくつものナンセンスな記事を読んだものですよ(笑)」と、リンゲ。

 

カメラカーとして参加したにも関わらず、「908/02」は24時間を走りきり、9位という順位を得た。ところが、リンゲによると規定違反を指摘されて失格の裁定を下されている。

 

 

マックイーン自身の手で実戦にも登場し勝利!

 

「栄光のル・マン」の撮影は5ヵ月にも及んだ。他のレーシングカーも撮影用車両として用意され、アリフレックス製の動画カメラを搭載するために、ルーフが切り取られたり、支柱が取り付けられたりと、少々不格好なモディファイが施されている。

 

実はこの「シャシーナンバー22」は撮影前にレースデビューを飾っている。カート・アーレンスとロルフ・シュトメレンのドライブで、1969年2月1〜2日に開催された「デイトナ24時間」においてレースキャリアをスタートしていた。

 

しかし、このレースでは他のポルシェと同様にレース中盤の段階でカムシャフトの破損が原因でリタイア。その後、ポルシェのファクトリーにおいて、オープントップ仕様の「908/02」に変更され、マックイーンと彼自身の撮影プロダクションである「ソーラー・プロダクション」に売却。同年の12月にアリゾナへと送られた。

 

1970年の2〜3月、マックイーンはこの「ポルシェ908/02」を駆って4戦にエントリー。ふたつのレースで勝利を飾った。デビュー戦となったホルトビル・レーストラックにおいて、マックイーンは勝利を手にしただけでなく、それまでのコースレコードを2秒も縮めて見せた。これはマックイーンが俳優としてだけでなく、レーサーとしても非常に優れた才能を持っていたことを証明する事実だ。

 

1970年のセブリング12時間では、マックイーンとピーター・レブソンのコンビで参戦し、2位でフィニッシュ。このレースで優勝したのは、フェラーリ512Sで参戦した、マリオ・アンドレッティ、イグナツィオ・ギュンティ、ニーノ・ヴァッカレラ組だった。

 

 

ヒストリックレースのために元の状態にレストア

 

1970年のル・マン24時間レースで使用された後、「ポルシェ908/02(シャシーナンバー022)」は、1970年代を通して様々なレーシングチームやオーナーの手を渡り、耐久レースで活躍した。その後、レースで大破に近いダメージを負っていたが、ポルシェ908の絶大なファンだったオーストリア人のアウグスト・ドイッチュがエンジンとギヤボックスのない状態で廃車になっていたこのクルマを、ポルシェ・ザルツブルグから購入する。

 

彼は当初、この「シャシーナンバー022」を別の「908/02(シャシーナンバー018)」のパーツ取りに使うつもりだったという。ところが、1980年に「シャシーナンバー022」は復活を果たす。しかし、ドイッチュはクルマの正当性に関して、それほど気にするタイプの人物ではなかった。ロッターシュミット製ボディが与えられ、エンジンはポルシェ製水平対抗6気筒ツインターボを搭載。ギヤボックスはポルシェ935のものだった。

 

ドイッチュの「シャシーナンバー022」は、1980〜1988年までドイツやオーストリアのローカルレースを中心に走り続けた後、10年間という長い眠りに入った。そして、1998年、ヒストリックレースイベントの「AvD オールドタイマー・グランプリ」の設立者であるフーベルトゥス・グラフ・ドンホフが、ドイッチュに「あの伝説の『908/02』をニュルブルクリンクで走らせないか?」と提案した。彼はドイッチュにひとつの条件を提示する。

 

「オリジナルの状態にレストアしてほしい」と。

 

そして、2年後の2000年5月、ドイッチュ自身の手で「ポルシェ908/02(シャシーナンバー022)」がヒストリック・ヨーロピアン・スポーツプロトタイプレースのグリッドに並ぶことになった。

 

レストアが完了した車両には、映画に登場した輝かしいキャリアがしっかりと示されていた。ドイッチュの名前の下には誇らしげに「スティーブ・マックイーン」の名前が入れられているのだ。そして、その美しい姿は今も様々なイベントで見ることができる。