【連載】渡辺慎太郎の独り言 Vol.05「粋な大人になりたい」

2019/03/24 18:30

クルマに興味をもたない若者

 

とあるクルマのイベントで、ふたりの大学生と話す機会があった。ひとりは自動車専門誌を毎月購入するほどのクルマ好きで、もうひとりはクルマに対する興味は薄く、半ば強制的に拉致されてきたような状況だったという。クルマ好きの彼は、アレが格好良かったとかアレが欲しいとか興奮冷めやらぬ感じで、こちらが何も聞いていないうちから饒舌になっていた。それを呆れた表情で聞いていたクルマに興味のない彼が、ボソッと「クルマって楽しいのかも、とちょっと思いました」と漏らした。「なんでそう思ったの?」と聞くと「コイツもそうですけど、ここに来ている人はみんなすごく楽しそうなんで」と言う。「クルマって楽しくないと思っていた?」とさらに突っ込んでみたら、彼はこんなことを語ってくれた。

 

「僕の1番身近にいる、クルマを運転する人って父なんです。ウチのクルマって国産のミニバンだから全然イケてないんですけど(笑)、父が運転するのはもっぱら週末。家族で出かける時がほとんどです。ひとりで乗っているのは見たことがない。で、ちょっと遠くに行くじゃないですか。でも高速道路とか道はたいてい渋滞している。そんな時の父はいつもイライラしているかぐったり疲れているかで、ちっとも楽しそうじゃない。そんなのを毎週見せられたら、クルマが楽しいなんて思いませんよね?(笑)」

 

なんだかハッとする所見だった。そりゃあクルマに興味なんか持たないよなと納得した。

 

 

昔は無理してでも手に入れたかった

 

昭和41(1966)年生まれの自分が学生の頃は、とにかくクルマをどうにか手に入れることばかり考えていた。クルマを持っていないなんて男として不完全みたいな風潮もあったし、何よりクルマがないと女子に相手にしてもらえないと信じて疑わなかった。思春期で多感な男子にとって、これはまさに死活問題である。だからその頃の男子は勉強そっちのけでバイトに明け暮れ、中古の国産車をどうにか手に入れる。ところが、男性誌がよせばいいのに「女の子が助手席に座りたいクルマランキング」みたいな大きなお世話的企画をぶち上げ、そこに並んだクルマの上位を占めていたのは“ベンツ”や“ビーエム”といった輸入車で「なんだ結局ガイシャかよ!」と、それまでの努力が成果ではなく徒労だと分かって肩を落とした。

 

それでも学生にとってのクルマとは、人生で1番高額で家にも入らないそれこそビッグな買い物だったから、それはもう愛でるように大切にした。たとえ恋が成就しなかったとしてもひとりでドライブに出かけたし、ひとりになりたいときにいつでもひとりになれる自分だけの秘密の居場所のようでもあった。

 

 

格好良くクルマに乗る大人

 

女子にモテたいという短絡的で直接的でやや不純な動機の他にも、クルマに憧れる理由がもうひとつあった。それは、テレビや映画や雑誌の中のみならず、自分の周りにも格好良くクルマに乗る大人がたくさんいたからだ。

 

ジェームス・ボンドはアストン・マーティン以外のクルマでも紳士的に乗りこなすいっぽうで、時として類い希なるドライビングスキルも披露した。個人的なお気に入りはブルース・ウィルスの出世作となったアメリカのテレビドラマ『Moonlighting(邦題:こちらブルームーン探偵社)』で、彼のパートナー役のシビル・シェパードがBMW635CSiでロサンジェルスの街並みの中を優雅に走る姿がいまでも印象に残っている。

 

日本では作家の北方謙三さんとマセラティが有名だった。ある夏の日、信号待ちで隣にマセラティのスパイダー・ザガートが止まり、運転席には北方さんご本人がいらした。気温30度は超えていたのにルーフを開け放ち、彼は黒い革のジャケットを着込み、でも案の定、額には大粒の汗が湧き出ていた。しばらくして偶然にも彼をインタビューする機会が舞い込んできて、その時の話をすると「ファッションていうのは我慢も必要なんだよ」と言われ、思わず「カッチョエー!」と思ってしまったこともあった。

 

昔と比べると、最近はクルマに紐付いたシーンが思い浮かぶ映画やテレビや有名人がずいぶん少なくなったように感じるのは気のせいだろうか。もはやクルマは、エンターテイメントの世界における小道具や演出のひとつとして重要視されていないのだとしたら少し寂しい限りである。

 

 

「粋」に乗る大人が少ない・・・

 

クルマを格好よく乗りこなすにはどうしたらいいか。高級外車やブランド物のファッションは必要ない。本当に必要なのは、運転する時にしか履かないシューズがあるとか、ドライブ中にだけ聴くクラシック音楽があるとか、運転がとてもスムーズで丁寧だとか、よく道を知っていて何気なく渋滞を回避しているとか、そういった自然に振る舞うこだわり、つまり“粋”だと思う。

 

自分の周りにいた大人達はクルマと粋に接していた。ボディは程よい感じで汚れていても、ドライバーは清潔感溢れる出で立ちで、まるでスニーカーのようにクルマを普段の足として履きこなしていたり、ちょっとドアを開けたり助手席の後ろに手を伸ばして、いつも必ず一発でバックの車庫入れを完了したり、行きつけのガソリンスタンドでスタッフと和やかな会話を交わしたり、歩行者や他のクルマには手を挙げてさりげなく道を譲ったり、突然クルマの調子が悪くなっても慌てず騒がず冷静に対処したり、そういった“所作”や“仕草”がなんとも粋で格好よく見えたものだ。そして、「自分もクルマを買ってああいう大人になろう!」と憧れたのである。

 

最近、そういう大人がめっきり減ってしまったように思うのもまた気のせいだろうか。「若者のクルマ離れ」と言われて久しいけれど、それを嘆く大人自身が実は、若者が憧れるようなクルマとの付き合い方をしておらず、若者をクルマから遠ざける元凶となっているのかもしれない。

 

 

文/渡辺慎太郎(Shintaro WATANABE)