「ポルシェ908(1968)」初の総合タイトルをもたらした秀作《ポルシェ図鑑》

1968  Porsche 908

 

 

グループ6規定に合わせて開発された「908」

 

ポルシェ908は、1968年シーズンから施行されたグループ6規定に合わせて開発されたスポーツ・プロトタイプ。新開発の空冷フラット8を搭載し、様々な改良を加えられながら70年代まで活躍する息の長いマシンとなった。

 

906で1966年シーズンに成功を収めたポルシェは、翌1967年シーズンに13インチホイールや剛性強化と軽量化を図ったチューブラーフレームなど、906のアップデート版といえる910を投入。タルガ・フローリオやニュルブルクリンク1000kmで優勝し、4リッターV12のフェラーリと総合タイトルを争う活躍をみせた。その一方で彼らはル・マンを見据え910のボディワークを一新し、空気抵抗の低減を目指した907を開発する。

 

907は、906や910にも使われた2.2リッター・フラット8を搭載して1968年も参戦を継続。ショートボディとロングボディを用意し、デイトナ24時間、セブリング12時間、タルガ・フローリオで優勝する。

この時の経験を活かしたシャシーに、1968年からチャンピオンシップが懸けられることになったグループ6規定に沿って開発されたのが908である。

 

空冷水平対向8気筒ユニットは、320hpを発揮!

 

排気量3リッターのスポーツプロトタイプというレギュレーションに合わせ、ポルシェは新開発の2921cc空冷水平対向8気筒DOHC “908“ユニットを開発。チタンやマグネシウムなどを使い軽量に仕上げられたフラット8は320hp(シーズン後半には350hp以上)を発生。サイズ的にもコンパクトに仕上がったため、そのまま907由来のシャシーに搭載することができた。

 

レースでのライバルはフェラーリが撤退したため、ジョン・ワイヤ・チームから出場していた格上のフォードGT40(5リッター以下、年間生産台数50台以上のグループ4)との事実上の一騎打ちとなり苦戦。ニュルブルクリンク1000kmで1勝を挙げるに留まった。

 

1969年になると、グループ4の最低生産台数が25台に引き下げられ有利になる一方で、グループ6も最低重量やフロントウインドウの寸法規定、ラゲッジルーム&スペアタイヤの装着義務などが廃止されることとなった。

 

これに伴いポルシェはエンジンの熟成とともにシャシーの改良にも着手。1968年シーズンの後半から使われたアルミ合金製のスペースフレームを採用し、高速サーキット用のロングテールクーペに加え、908/02と呼ばれた、テクニカルコース用の軽量なスパイダーも用意した。

 

序盤の北米ラウンドこそトラブルに見舞われたものの、ブランズハッチで行われた第3戦BOAC500マイルで優勝したのをきっかけに復調。モンツァ1000km、タルガ・フローリオ、スパ・フランコルシャン1000km、ニュルブルクリンク1000kmを制する圧倒的な強さをみせ、悲願であったオーバーオールのマニュファクチャラーズ・タイトルを手にするのである。

 

ちなみにニュルから908/02スパイダーは“Flounder(ヒラメ)”と呼ばれるフラットなボディに変更。空気抵抗が減り最高速が伸びるなど、大幅に戦闘力が向上している。

 

1969年のル・マンで得た教訓

 

この908のハイライトといえるのが、1969年のル・マン24時間である。

 

必勝を誓うポルシェは、3台のグループ4マシン、917とともに4台の908(3台がロングテール・クーペ、1台が908/02)をエントリー。予選では917勢が1-2を独占したほか、908も3~8位と上位グリッドを占めた。

 

迎えた決勝は、ル・マン式スタートの危険性に抗議したジョン・ワイヤ・チームのジャッキー・イクスが乗るGT40が最後尾からスタート、さらに1周目で917に乗るジョン・ウルフが事故死するなど混乱があったものの、ポルシェ優位のままレースは進行する。

 

しかし、夜から日曜昼にかけトラブルやアクシデントが続発。唯一生き残ったハンス・ヘルマン/ジェラール・ラルース組の908が、首位に上がったイクスを追う展開となる。そして残り1時間あまりとなったところでヘルマンに交代。ラストラップには、1周の間にヘルマンとイクスが何度も順位を入れ替えるというル・マン史上に残る接戦を繰り広げた末に、わずか1.5秒差の2位でゴールするという結果となった。

 

後年、ヘルマンは序盤でブレーキトラブルを抱え後退したこと、そして最後はエンジンが高回転まで回らずにイクスに逃げ切られたことを敗因と語っているが、この敗北がポルシェに多くの教訓をもたらすこととなった。

 

 

 

ポルシェ・ミュージアムには数台の908が所蔵されているが、これはその中でも最も初期にあたる1968年型の908KH(ショートテール)。残念ながらシャシーナンバーは不明。

 

 

908KHのリヤビュー。左右フェンダーにつくフラップは、それぞれリヤサスペンションと連動する可変フラップで、1968年のノリスリング200マイルから採用されたもの。1969年のル・マンで禁止となる。

 

 

1969年シーズンから投入された908/02スパイダー。ロングテール・クーペに比べ空気抵抗は増加したが60kg近く軽量だったこともあり、高い戦闘力を示した。

 

 

908/02のリヤビュー。ゼッケン266は1969年のタルガ・フローリオでゲルハルト・ミッター/ウド・シュッツ組がドライブして優勝した908/02-014。

 

 

1969年仕様の908LH(ロングテール)。908LHはタルガ・フローリオとニュルブルクリンク1000km以外の全レースに投入され、モンツァ1000km、スパ1000kmで優勝を果たしている。

 

 

ポルシェ・ミュージアムに展示されているのは、1969年のル・マンで惜しくも2位に甘んじたハンス・ヘルマン/ジェラール・ラルース組の908-031。この時の死闘は映画『栄光のル・マン』のシナリオにも大きな影響を与えることとなった。

 

 

1967年シーズンに投入された910。906のアップデート版といえる内容で13インチホイールを採用したのが大きな特徴。1968年の日本GPでは生沢 徹がドライブし2位に入った。

 

 

910のボディを改良して生まれた907。これは1967年のル・マンで5位に入ったジョー・シファート/ハンス・ヘルマン組のマシン。この時の経験が908の開発に活かされることとなった。

 

 

1968年のデイトナ24時間で1位から3位を独占した907。前年、フェラーリがP4で果たした“デイトナ・フィニッシュ”を再現してみせた。

 

 

24時間を走りきり、その差わずか1.5秒という接戦を演じたヘルマン/ラルース組の908と、ジャッキー・イクス/ジャッキー・オリヴァー組のGT40。この惜敗は翌年に向けての大きな伏線となった。

 

 

【SPECIFICATION】

ポルシェ 908

年式:1968年
エンジン形式:空冷水平対向8気筒DOHC
排気量:2921cc
最高出力:320hp
最高速度:320km/h

 

 

TEXT/藤原よしお(Yoshio FUJIWARA)
COOPERATION/ポルシェ ジャパン(Porsche Japan KK)