「ランチア ストラトス」WRC制覇を目的に開発された異色のスーパーカー【名作スーパーカー型録】

LANCIA STRATOS

ランチア ストラトス

 

 

ライバル勢を驚異に感じた時、ストラトスは生まれた

 

1970年代半ばに日本中を熱狂の渦に巻き込んだスーパーカー・ブームは、1980年代終盤から現在にまで続く、スーパーカーに対して注がれる熱い視線とは異なり、その主役はコミック誌に刺激された子供達だった。だからこそシンプルに最高出力や最高速度を比較し、あるいは純粋に姿カタチのカッコ良さでお気に入りの1台が決まると、コミックで描かれるレースの結果に一喜一憂したのだった。

 

このコミックの中で途中、イタリア語で成層圏を意味する1台のスーパーカーが登場した。車名が物語るように、あたかも成層圏から飛来してきた未確認飛行物体のように見えた、そのモデルの名は「ランチア・ストラトス」。フロントノーズにはランチアのエンブレムが輝き、またセンターピラーにはベルトーネのロゴが、ドアサイドには“STRATOS”の切り文字がステッカーで貼られるのが当時の標準的な仕様であった。

 

 

ストラトスは、最初からWRC=世界ラリー選手権への参加を目的に開発されたモデルだ。それまでフルビアでWRCを戦ってきたランチアだったが、1970年代も半ばを迎える頃になるとランチア・フルビアや、フィアット124アバルト・スパイダーといったイタリアのメイクスは、アルピーヌやフォードといったライバルの戦闘力を脅威と感じるに至っていた。ランチアは、ラリー・スペシャルとして連続する12ヵ月間に400台の生産が条件となるグループ4への公認を狙ったストラトスの開発を進めていた。

 

ランチアはまず、同様に12ヵ月間に5000台を生産することで得られるGTの公認を得て、ここから400台のラリー・スペシャルを生産。グループ4の公認を得るというオーソドックスな方法を選択しようと試みるが、それだけの時間的な余裕は彼らには与えられなかった。一気に400台を生産してグループ4の公認を得る作戦をランチアはここで選択することになる。

 

 

72年のツールド・コルスから投入!

 

ランチア・ストラトスのプロトタイプは、テストを兼ねて72年秋のツールド・コルスから実戦に投入されている。もちろんグループ4の公認はまだ取得できていないから、これはフルビアからストラトスへとWRCマシンを切り替えるための、名目上はテストであったと考えられる。実際にストラトスのロードモデルが発売されたのは74年のこと。WRCのプロトタイプクラスにエントリーした時には、装着されないことも多かったルーフとリアのスポイラーも、プロダクションモデルでは、その姿が確認できる。見た目にも極端にホイールベースが短く(2180mm)、カウルは前後とも一体でオープン&クローズが可能だ。

 

 

フェラーリ製V6エンジンは、ディーノ246GTと同一

 

リアカウルをオープンすると、強靭なサブフレームの中にマウントされる、フェラーリ製の2418cc、V型6気筒DOHCエンジンが姿を現す。このエンジンにはウェーバー製のキャブレターが組み合わされ、ロードモデルでも190psの最高出力を発揮した。ちなみにこれは、同エンジンを搭載したディーノ246GTのそれよりも、わずかに5psほど低い設定。カウルをオープンすると、同時に視界に飛び込んでくるストラット形式のサスペンションと同様に、サービス性の高さも相当に考えられた設計であることが分かる。

 

 

圧倒的な速さにより、3年連続でWRCを制覇!

 

ランチアが待ち望んだグループ4の公認は、74年の10月1日にFIAから降りた。それはランチアのWRC制覇に賭ける戦いの実質的な始まりでもあった。ラリー・スペシャルたるストラトスの速さは、まさに圧巻というべきもので、75年シーズンから正式にWRCに参戦したストラトスは、開幕戦のモンテカルロに勝利するや、75年、76年、77年と、この世界選手権を制覇。77年からは親会社であるフィアットが、131アバルト・ラリーを擁してWRC参戦をスタートさせた関係から、ランチアは78年でストラトスでのWRCを撤退する。次なるプロジェクトはグループBの037ラリー。ランチアがここまで情熱的だった時代は、もう戻っては来ないのだろうか・・・。

 

 

文/山崎元裕(Motohiro YAMAZAKI)