【連載】渡辺慎太郎の独り言 Vol.06「誰にも乗ってほしくない乗り物」

2019/05/01 17:55


平成に感謝

 

この原稿を書いているのは平成31年4月30日。要するに“平成最後”の書き下ろしということになる。

 

4月中旬を過ぎた頃から、テレビなんかでは「平成も残すところあと○日」とか「平成最後の○○」とか言っているし、年号をまたいだ連休で企業や銀行は休業、交通機関は東京からの下りが連日大混雑で、大掃除やお正月の準備をしなくて済むことを除けば(大掃除はやってもいいんだけど)、街はまるで年末のような風情に包まれた。

 

この業界に片足を踏み入れたのは1989年。たまたま平成元年だったから、平成という30年間は自分にとって自動車メディアという生業の歩みと轍でもあった。本当にたくさんの皆さんのおかげさまで数多の貴重な体験の機会を与えていただき、これはもう感謝の言葉だけでは言い尽くせないくらい有り難き幸せだとしみじみそう思う。そのほとんどが「へーそうなんだ」と初めて知るようなことばかりで、世の中は自分の知らない事ばかりで溢れているんだなあと実感した。中には墓場まで持っていかなくてはいけないものを拝見したり絶対内緒のお話を伺ったりして、でも気よわい自分はこれを厳守するのがなかなかやっかいで「あ、これ以上話したらまずいな」というときが何度もあった。

 

人生初のドクターヘリ

 

つい先日ある人に「平成でもっとも印象に残っていることは何ですか」と聞かれて、そんなことを聞かれるとは考えてもみなかったからちょっと戸惑った。で、「乗りたくないものに乗ってしまったことでしょうか」と答えた。「え、何ですかそれ?」と想像通りの反応だったので「救急車とドクターヘリです」と話した。

 

いまから5年前の3月末、茨城県にある日本自動車研究所(JARI)の高速周回路は雨に見舞われていた。「もう少し雨脚が強くなったら今日のテストは終わりにしよう」と思っていた矢先、テスト車両は突然のハイドロプレーニング現象に遭遇しコントロールを失い、スピンをしながらコースサイドの電信柱に激突した。ドライバーは気を失い、計測機器を持って助手席に座っていた自分は意識こそはっきりしていたものの、全身にこれまで経験をしたことがないほどの激痛が走っていて、その場を動くことができなかった。

 

しばらくすると救急車が到着し、水戸市内の病院へかつぎ込まれた。着ていたレーシングスーツを切り刻まれた後、レントゲンやMRIを使った検査を受けてICUのベッドへ。痛み止めのおかげで少し落ち着いたが相変わらず身体の自由がまったくきかない。自分はいま、いったいどんな容態なのだろう。恐る恐る看護師さんに聞いてみると、第七頸椎の破裂骨折と第六頸椎の損傷に加えて助骨を9本骨折、その影響で肺挫傷も併発しているという。

 

「それってかなりヤバイってことですか」
「相当ヤバイってことです」

 

どうりで首から上が動かないし、上半身全体が激しく痛むし、呼吸が苦しいはずだった。

 

第七頸椎は移植手術が必要だが、それには肺の出血が止まるまで待たないといけないという。その上、水戸の病院ではそのオペが出来ないとのことで、肺挫傷が治まり次第、都内の病院へ転院することが決まった。しかし、その時点での頸椎の状態では、都内まで約3時間かかる救急車での搬送に耐えられないと判断された。JARIから水戸の病院まで救急車で運ばれた時、車内は確かにひどい乗り心地で、賢明に処置をしてくださっていた救急隊員の方も、何かにつかまっていないとまともに仕事ができないような有様だった。だからアレでまた都内までのドライブは厳しいだろうということは容易に想像が付いた。

 

幸いにも水戸の病院はドクターヘリを持っていて、それを使って搬送されることになった。ストレッチャーに乗せられたままドクターヘリの中へ入ったので外の景色は見えないし、インカムも付けられないのでかなり騒々しく、同乗してくださった先生は手にはめていた医療用手袋に「苦しくないですか」「あと10分くらいです」とボールペンで書きながらコミュニケーションをとってくださった。40分弱で着陸したもののそこは病院ではなく、新木場にある東京ヘリポートだった。搬送先の病院にはヘリポートがあるものの、一刻を争うような状況でないと使用許可が出ないという。結局、新木場からはまた救急車に乗せられて転院先の病院へ到着した。

 

自分の腰骨の一部を粉々になった第七頸椎へ移植する手術は8時間以上もかかったものの無事終了し、手術から2週間後に退院する運びとなった。水戸のICUに11日間、都内の病院で28日間、計39日もの入院を余儀なくされたが、その後もリハビリや通院が待っていて、再びステアリングが握れるようになるまでに約5ヵ月を要した。

 

心配された後遺症もほとんどなく、いまでは事故前と変わらぬ生活を送ることができるのは、ひとえに水戸と都内の病院の皆さんのおかげさまで、自分にとって平成という時代はつくづく感謝の30年だと痛感した。

 

令和に期待すること

 

最近は痛ましい交通事故の報道が数多くされているけれど、高齢者がどうのとか事故を起こした車種がどうのとか、何かひとつにすべての原因と責任を負わせてみんなでとことん糾弾するような風潮に得も言われぬ違和感を感じる。自動車メーカーは立派な最先端の衝突実験施設を持っているが、同じクルマで同じ速度で同じ角度など、あらゆるすべての条件を揃えて何度も衝突実験を繰り返しても、ひとつとしてまったく同じようにクルマはつぶれない、同じ結果は出ないという。交通事故というのはそういうものである。

 

もし、令和に期待することがあるとするならば、例えば最新の安全技術や安全装備が、古いクルマにも安価で簡単に後付けできるようになるといい。優れた衝突軽減ブレーキを搭載しているクルマが、何らかの事情でその機能が作動して急ブレーキにより前車への衝突を回避できたとしても、後続車がそれを装備していなかったら後ろから追突されてしまうだろう。安全装備は最終的に地球上を走るすべてのクルマに搭載されないと、本来の威力や効力は存分に発揮できないと思っている。そして何より、自分のような体験はもう誰にもして欲しくないし、救急車にもドクターヘリにも誰にも乗って欲しくないと心から願っている。

 

 

文/渡辺慎太郎(Shintaro WATANABE)