ブガッティ初の現代的スーパースポーツ「EB110」が刻んだ栄光と挫折

ブガッティEB110_シャトーモルスハイム1

Bugatti EB110

ブガッティ EB110

 

 

ロマーノ・アルティオーリの尽きない情熱

 

1991年、ブガッティが新型スーパースポーツ「EB110」をお披露目した時、そのネーミングには偉大なる歴史への敬意が込められていた。「EB」はブガッティの創業者であるエットーレ・ブガッティを表し、「110」は彼の生誕110年目を意味していた。1980年代後半、「EB110」はイタリア人のロマーノ・アルティオーリにより考案された。

 

長年のブガッティ・コレクターだったアルティオーリは、イタリア北部でフェラーリや日本車のインポーターとして成功を収めていた。彼が夢見ていたのは優雅なスタイルを持ち、一切の妥協を廃した究極のスーパースポーツだった。当時、彼の期待に応えるようなモデルは存在せず、自身の夢を現実化することを思い立った。それこそが、1956年以来となるブガッティのニューモデルだった。

 

 

モデナ近郊に建設された新たなファクトリー

 

アルティオーリのブガッティへの情熱は深く、そして激しかった。フランスの伝説的な自動車ブランドを復活させせるべく、彼は1987年にブガッティの商標権を取得する。そしてブガッティ・アウトモビリS.p.A.の会長に就任。その年末、彼は生産拠点をフランスではなく、イタリア・モデナ近郊のエミリア・ロマーニャ地方に決めた。

 

この地域はある大きな利点を持っていた。デ・トマソ、フェラーリ、マセラティ、ランボルギーニなど、主要なイタリアのスーパースポーツブランドがこの地域に拠点を置いていたのだ。多くの顧客の関心を惹くだけでなく、経験豊富で優秀なスタッフを容易に集めることもできる。そしてアルティオーリは著名なデザイナーだけでなく、開発エンジニアや工場従業員を手にすることに成功する。さらに最初のデザイン案は、ランボルギーニ ミウラやカウンタックを手がけたマルチェロ・ガンディーニが担当することになった。

 

カンポガッリアーノに建設されたブガッティのファクトリーは、当時最も近代的な施設を誇っていた。アルティオーリはブガッティを心から愛していたため、アルザス・モルスハイムの旧ブガッティ工場の入り口のドアをエントランスに飾っていた。1990年9月15日、エットーレの109歳の誕生日に新ファクトリーをオープンし、そのセレモニーには開発中の新型スーパースポーツではなく、77台もの歴史的なブガッティの名車達が並べられた。

 

 

エアロスパシアルが開発した超軽量モノコック

 

アルティオーリはブガッティ復活を象徴するスーパースポーツの開発に資金を惜しまなかった。エットーレ・ブガッティがそうだったように、その自動車に“ベスト”だけを求めたのだ。

 

わずか125kgに収められた炭素繊維強化プラスチック(CFRP)超軽量モノコックは、フランスの航空会社エアロスパシアル社によって製造。ボディにはカーボンファイバー、アラミドファイバー、強化プラスチックを使用。ホイールはマグネシウム製、ネジやボルトはチタニウム製という徹底ぶりだった。

 

ドライブトレインは4基のターボチャージャーを備えた3.5リッターV型12気筒エンジンを縦置きミッドシップに搭載。最高出力はモデルに応じて560〜610hpを発揮し、6速マニュアルトランスミッションを介して4輪を駆動する。タイヤサイズはフロントが245/40ZR18、リヤ325/30ZR18。これに18インチマグネシウムホイールが組み合わせられた。

 

 

世界にセンセーションを巻き起こしたEB110の性能

 

確かに現在ではさほど驚くべきスベックではないかもしれない。しかし「EB110」は1990年代初頭においては、間違いなくセンセーショナルな存在だった。4基のターボチャージャーを搭載したV12エンジンをミッドに搭載した4WDのスーパースポーツなど、それまではありえなかったのである。

 

ブガッティはあまりにも突然に復活して頂点に駆け上がったことから、ライバルという存在は皆無だった。それこそがアルティオーリの狙いだったのだ。

 

「EB110」は過激な性能を持ちながら、同時に快適さも備えていた。エアコン、電動パワーシート、パワーステアリング、セントラルロック、そして高品質のオーディオサウンドシステムを標準装備。跳ね上げ式のシザースドアを開けると、イタリアの家具ブランドであるポルトローナ・フラウ(Poltrona Frau)のレザーを使用した、贅を尽くしたインテリアも用意されていた。

 

エアロダイナミクスも当時としては非常に進んだシステムを採用している。室内からもコントロール可能な、速度感応式の可変リヤスポイラーを装備。Cピラーにも可変機構を備えており、空力的な効果に加えて効率的にフレッシュエアをエンジンに供給している。

 

 

エットーレ生誕110年目、1991年9月15日に世界公開

 

「EB110」はカンポガッリアーノのファクトリーにてハンドメイドで生産され、1991年9月15日にフランスでワールドプレミアを行なった。エットーレ・ブガッティの生誕110年目という記念すべき日、パリのプレゼンテーションには2000名ものゲストが招待され、3台の「EB110」がシャンゼリゼをパレードランしている。

 

まずマーケットに「EB110 GT」が投入され、その直後に、より軽量&パワーアップした「EB110 S (後にEB110 SS)」がデビュー。ブガッティは「EB110」で、最速の加速力/最速の量産スポーツカー/ガソリンで走行する最速のスポーツカー/氷上における最速の量産スポーツカーという、4つの世界公認記録を樹立している。

 

 

登場する時期を間違えてしまったスーパースポーツ

 

ところが1990年代中盤、世界的な不況が自動車業界に襲いかかる。スーパーカーマーケットは崩壊し需要は急激に落ち込んでしまう。当時のアルティオーリはロータスに過剰な投資を行なっており、1995年にブガッティ・アウトモビリS.p.A.は倒産。同時に「EB110」の生産ファクトリーも閉鎖された。

 

1995年までにカンポガッリアーノのファクトリーで製造されたのは、96台の「EB110 GT」と32台の「EB110 SS」など合計128台のみ。その2年後の1997年9月にブガッティ・アウトモビリS.p.A.の破産手続きも終了している。

 

「あのような夢を実現するのは一見簡単そうに思えます。でも、実際に実行してみると理解できるでしょう。あれはある意味、狂気の沙汰だったのです」と、アルティオーリは振り返っている。

 

 

故郷のアルザスのモルスハイムへと帰ったブガッティ

 

しかし、伝説の自動車メーカーはそのまま再び長い眠りに入らなかった。1998年、フォルクスワーゲンがブガッティ・アウトモビリS.p.A.から商標権を購入。ブガッティ・オートモビルを設立し、フランスのアルザス・モルスハイムに本社を置いた。それ以降はヴェイロン、シロン、ディーボなど、ユニークなハイパースポーツがモルスハイムで生産されている。

 

「ロマーノ・アルティオーリは、EB110という素晴らしいスポーツカーを生み出しました。彼の情熱、そして諦めない努力のおかげで現代にブガッティは復活したのです」と、ブガッティ・オートモビルのステファン・ヴィンケルマン社長は指摘する。

 

確かに「EB110」はモルスハイムで生産されなかった唯一のブガッティかもしれない、それでも紛れもなくブガッティの歴史に名を刻んだ1台なのである。