池沢早人師に訊くスーパーカーブームのウラ側「第9回:ミウラを目の当たりにしたときの感動は忘れられない」

ランボルギーニ・ミウラP400Sと池沢早人師1

ランボルギーニの出世作にして元祖スーパーカー!

 

1970年代に吹き荒れたスーパーカーブームの中で、中心的な存在として人気を博したランボルギーニ・ミウラ。その流麗なスタイルは子供たちの憧れとなり、池沢早人師先生が描いた『サーキットの狼』の中でも重要なキャラクターとして描かれている。ここでは、そんな魅力的な一台に迫り、池沢先生と共にその魅力に迫ってみたい。

 

 

世の中にこれほど素晴らしいクルマがあるのか!

 

1975年から週刊少年ジャンプで連載が始まった『サーキットの狼』だけど、連載を始めるまでに数多くのスーパーカーに出逢えたことは大きい。その中でもランボルギーニ・ミウラはボクの中で特別な存在になっていたことは間違いない。

 

初めてミウラを意識したのは、『サーキットの狼』の構想を練っている頃だから1972年頃だったと思う。カーグラフィック誌で特集されていたランボルギーニ・ミウラとフェラーリ365GTB/4(デイトナ)、そしてマセラティ・カムシンの特集を読んで「世の中にこれほど素晴らしいクルマがあるのか!」と一発で魅了されてしまった。

 

 

流れるような曲線で描かれた女性的なボディラインとロー&ワイドなスタイルは、当時のボクにとっては衝撃的だったね。今のようにYouTubeやインターネットで動画を見ることはできなかった時代だから、雑誌の特集だけで排気音や走る姿を妄想していた(笑)。特集されていた雑誌はボロボロになるまで読みまくった。ボクは当時、憧れていた日産フェアレディZ(30Z)に乗っていたんだけど、リヤガラスにミウラにそっくりなルーバーを付けて喜んでいたくらい。

 

その後、ボクはフェアレディZからロータス・ヨーロッパに乗り換え、周囲にスーパーカーに乗る仲間が増えていった。そんな出逢いの中で3台のミウラと出逢うことができたんだけど、実車を目の前にした時の感動は今でも鮮明に覚えている。

 

 

雑誌を見て妄想していたエンジン音や走る姿はとても官能的だったけど、本物は想像を超える素晴らしさだった。週末に銀座や新宿に集まることが多かった当時、ミウラのオーナーが新宿タカノの前でカウルを全開にして停まっている姿は圧巻だったね。街を歩く人もみんな注目していた。もちろん女性からの注目度は抜群で、ナンパをしてはドライブに誘ったりして(笑)。でもドライブ途中にエンジンが止まったり、火が出て大騒ぎになったりとミウラには色々な思い出がある。

 

ミウラは当時としては画期的なミッドシップレイアウトで、愛車のロータス・ヨーロッパの兄貴分のような存在。排気量やボディサイズは全く違っていたけど、何だか親しみがあって大好きなクルマだった。

 

憧れのクルマだったから自分でも所有したかったけど、間近で連続するトラブルを見ていると「あぁ、ボクの手には負えないクルマなんだ。オーナーになるのは難しいよなぁ」と思い、手を出すことは無かった。その教訓は調子の悪いディーノ246GTで痛いほど経験していたからね(笑)。

 

 

そんな時、“潮来のオックス”こと関根英輔さんがミウラを手に入れたと聞いてすぐに乗せてもらったんだ。まぁ、このミウラが嘘のように絶好調! 本当のミウラの素晴らしさを教えてもらった。でもね、絶好調のミウラを目の前にして思ったのは、乗りたい時は関根さんのミウラとボクのフェラーリを交換した方がお互い楽しめるな、ってこと(笑)。

 

『サーキットの狼』の作中では飛鳥ミノルの愛車としてミウラを登場させた。このチョイスは飛鳥の性格にピッタリだったと今でも思っている。裏話になるんだけど、飛鳥ミノルの名前は当時レーサーとして大人気だった川合 稔(ミノル)選手から頂戴し、付き合っているローザ(風吹裕矢の姉)の名前は川合選手のフィアンセだった人気モデルの小川ローザさんから使わせてもらった。当時は噂のカップルだったから気付いた人も多かったんじゃないかな?

 

その後、連載中に絶好調のミウラと出逢ったことで、どうしても関根さんをキャラクターとして登場させたくてね。でも、既に飛鳥ミノルがミウラに乗っていることもあり、悩んだ末にミウラのレーシング仕様のランボルギーニ・イオタを駆る“潮来のオックス”として登場させることに。その縁は今も続き、四半世紀近くも一緒に遊ぶ仲間になっている。“潮来のオックス”とは今でも深いお付き合いをさせてもらっているんだ。

 

 

Lamborghini Miura P400

ランボルギーニ ミウラ P400

 

GENROQ Web解説:ランボルギーニの魂・ミウラ

 

フェラーリの好敵手として名を馳せるランボルギーニ。そのルーツは1963年へと遡る。農業用のトラクター販売で財を築いたフェルッチオ・ランボギーニがフェラーリに対抗するべく創業を開始したのが発端だ。

 

ここで紹介するミウラは1966年のジュネーブショーでデビューを果たし、同年から1973年までの7年間に約750台生産された。ベルトーネが手掛けた美しいクーペボディのミッドに、大排気量のV型12気筒DOHCエンジンを横置き搭載する2シータースポーツは非常に画期的なものであり、現在へと続くエキゾチックスポーツカーの礎になっている。

 

 

ミッドシップされたV12エンジンはノーマル仕様でも350psの最高出力を発揮し、その最高速度は300km/hへと達すると発表されていた。発表と同時に大きな話題を呼んだミウラは数多くのバックオーダーを抱え、オーバーヒート対策やリヤヘビーによるハンドリングの悪さを改良しながら世に送り出されていく。最終モデルとなるSVでは重量バランスへの対応としてリヤサスペンションに大幅な改良が加えられている。

 

ミウラのシャシーはダラーラが担当し、ボディはベルトーネに在籍していたマルチェロ・ガンディーニがチーフデザイナーとして手腕を振るうこととなる。ミウラの名前はスペインにあるミウラ牧場(闘牛飼育牧場)のオーナーであるドン・アントニオ・ミウラ氏にちなんだものだ。

 

ランボルギーニの市販車ではあったものの、元々の位置付けは技術力をアピールするパイロットモデル的な存在であり、当初はお世辞にも完成度が高いモデルとは言えなかった。そのため生産台数を重ねる毎に改良が施され、生産が終了するまでにP400、P400S、P400SVと進化を遂げている。生産時期による個体差が大きいのもミウラの大きな特徴だ。

 

 

「池沢早人師 サーキットの狼 MUSEUM」に所蔵のモデルは、P400Sと呼ばれる中期に生産されたモデル(※ホワイトカラーの個体。この解説コーナーで掲載するオレンジカラーの個体はミウラP400)。60度のバンク角をもつ排気量4リッター(3929cc)のV12は最高出力を引き上げられ、スペックシートには最高出力370ps/7700rpm、最大トルク39.0kgm/5500rpmを刻んでいる。ブレーキは出力アップに備え、制動力を向上させるベンチレーテッド式へと変更された。

 

ミウラの総生産台数は765台、P400Sの生産台数は140台と言われている。ボディディメンションは全長4360×全幅1780×全高1080mm、ホイールベース2500mm。データだけ見ればコンパクトに思われるかもしれないが、実車を目の当たりにすると数値以上に堂々としたボディに驚かされる。

 

 

REPORT/並木政孝(Masataka NAMIKI)

PHOTO/市 健治(Kenji ICHI)

 

 

【関連リンク】

・池沢早人師に訊くスーパーカーブームのウラ側「プロローグ:最初はクルマ好きじゃなかった」

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・池沢早人師に訊くスーパーカーブームのウラ側「第2回:ロータス・ヨーロッパで目覚めたんだ」

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・池沢早人師に訊くスーパーカーブームのウラ側「第3回:トヨタ 2000GTは特別な存在なんだ」

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・池沢早人師に訊くスーパーカーブームのウラ側「第4回:ボクも早瀬佐近も“ポルシェの魔力”にはまった」

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・池沢早人師に訊くスーパーカーブームのウラ側「第6回:世代を超えて愛される『サーキットの狼』で社会貢献」

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・池沢早人師に訊くスーパーカーブームのウラ側「第7回:カウンタックは見た目だけでなく走りも“シャープ”だった」

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・池沢早人師に訊くスーパーカーブームのウラ側「第8回:夏休みに行きたい! 夢のスーパーカーミュージアム」

https://genroq.jp/2019/08/36436/

 

・サーキットの狼ミュージアム

http://www.ookami-museum.com