モノクロ写真から遡る、ポルシェ 911 S タルガで巡ったイランとアフガニスタン

ポルシェ911Sタルガでの中東旅行、リヤスタイル

Porsche 911 S Targa

ポルシェ 911 S タルガ

 

 

1973年だからこそ実現した陸路での旅

 

キャロル・デ・ガラ、リック・ロンバ、そしてジークフリート・ハンメレーレの3人は、1973年にポルシェ 911 S タルガ を駆って、アフガニスタンとイランを旅した。この信じられないような旅はどのような経緯で実現したのだろうか? 46年の時を経て、あの旅の主役を探し出すことになった。

 

「あの旅は・・・もうずいぶん昔のことですね」

 

電話に出たハンメレーレは少し驚いたようだった。彼の言葉は真実だろう。46年という月日は、ほぼ半世紀もの昔である。

 

ジークフリート・ハンメレーレは現在80歳でアルトバッハの近郊に居住している。911 S タルガは彼が所有した最初のポルシェだ

 

当時の彼らが辿ったルートの再現は、今となっては実現が困難だ。ドイツ、イギリス、南アフリカ出身の3人は、ポルシェ911とフォルクスワーゲン411でドイツを出発し、トルコを経由してイランとアフガニスタンを巡った。2ヵ月をかけた旅の総走行距離は2万7000kmにもおよぶ。

 

彼らが旅したのは1973年8月から9月にかけて。そう、まだイランは革命前夜、パフラヴィー朝の時代。アフガニスタンも内戦勃発前であり、国境は現在のように閉ざされていなかった。しかし激動の時代が始まる直前ではあったが、この地域は安全なヨーロッパとは異なりクルマで旅するのはいくばくかの勇気が必要とされていた。

 

 

キャロル・デ・ガラはカメラマンのロンバのガールフレンドであり、撮影のアシスタントとして参加した

 

かつてクリストフォーラス誌に掲載されたモノクロの旅行記

 

若いイギリス人女性のデ・ガラ、23歳の南アフリカ人写真家ロンバ、そして34歳のテキスタイル企業家ハンメレーレは、それをやってのけた。ポルシェの大ファンであり、旅のお供となる911 S タルガを所有していたハンメレーレがこの旅の発案者だった。

 

この冒険は一度だけ、ポルシェのカスタマー向け雑誌「クリストフォーラス マガジン(Christophorus Magazine)」で公開されたことがあったが、しばらく忘れ去られていた。ところが、偶然にも当時のモノクロプリントとネガフィルムが発見された。単色の写真たちは見る者を惹きつける力を持っていたのだろう。そこから、この写真に関する調査が始まった。

 

この写真に写っている人たちは、今どこにいるのだろうか? 残念ながら写真を撮影したロンバのオリジナルの旅行メモは保存されていない上に、彼自身も既に亡くなっていた。キャロル・デ・ガラはイギリスで結婚していたが、連絡を取るのは難しいことが明らかになる。そして紆余曲折を経て、ついに連絡が取れたのがハンメレーレだった。

 

撮影を担当したリック・ロンバはこの旅の後、南アフリカに戻ってドキュメンタリー映画の製作者として、また環境活動家としての生涯を全うした

 

アフガニスタンとイランで撮影された2本の映像作品

 

「カルカッタへの旅行の途中、1963年に初めてアフガニスタンのカブールを訪れたんです」と、ハンメレーレは振り返る。彼はドイツへカーペットを輸入するため、アフガニスタンに降り立った。そしてその地の虜になり、大好きなポルシェで旅をして映像に残したいと考えたのだった。

 

撮影は誰に頼むべきか・・・。ハンメレーレは写真家のリック・ロンバを思いついた。1973年当時、ロンバはイギリスで映画と演劇を学んでいたのだ。そしてロンバのガールフレンドだったキャロル・デ・ガラがアシスタントとして旅に加わった。

 

「リックからキャロルの同行を打診された時、『彼女がアシスタントをできると君が考えているなら僕は気にしないよ』と言ったのを覚えています」と、ハンメレーレ。この旅では2本の映像製作が計画されていた。1本はカーペットに関する内容、もう1本はポルシェに関する作品だ。 そして3人は1973年8月5日にドイツを出発した。

 

フォルクスワーゲン411 LEエステートには大きな電気的な問題があり、旅の途中で何度も修理を行った

 

摂氏60度を超える過酷な環境でもトラブルなく走った911

 

この旅に向けてクルマ関係で用意したのは、工具キット、予備のスパークプラグ、オイルフィルター、Vベルトのみ。荒れた道での走行が続きパンクには幾度となく見舞われた。「ある時点から、パンクしたタイヤの本数を数えるのはやめました」とハンメレーレは笑う。しかしこの旅では一度もアクシデントや大きなトラブルに遭うことなく、ケガもなかったという。

 

アララト山の近くの岩だらけの砂漠では、気温は実に摂氏50度以上。「死の砂漠」と呼ばれるアフガニスタンのダシュテ・マルゴでは摂氏60度をも超えたという。カラカラに乾いたなかでも、ポルシェは時計仕掛けのように正確に走ってくれた。

 

しかし随伴車として使用したフォルクスワーゲン411は、当時の段階ですでにかなり旧式だった。そのためエンジンマウント、油圧、電装系に大きな問題を抱えていた。イランのテヘランで大規模な修理を行った後、東アナトリアのエルズルムでも再び修理されている。数本のペンチとワイヤーを駆使し、何とかクルマを持ちこたえさせることに成功した。

 

1973年9月30日、出発からちょうど56日後に彼らは再びドイツ・アルトバッハのスタート地点に戻ってきた。その後、旅の仲間はそれぞれの道を歩むことになった。3人が再び会うことはほとんどなかったという。カーペットに関する映像作品は南西ドイツの地方放送局であるSWFによって実際に放送されている。しかしこのフィルムは担当編集者のヨットとともに地中海に沈没してしまった。

 

では、ポルシェ911 S タルガは? 残念ながらイランとアフガニスタンを走った911 S タルガの現在の所在は分からない。だがハンメレーレは、ドイツのエスリンゲンで1970年型ポルシェ911 Tと幸せに暮らしているという。