セールスマネージャーが切り取った、1960年代のニューヨークとポルシェ

ポルシェ912タルガの写真

Porsche 912 Targa

ポルシェ 912 タルガ

 

 

セールスマネージャー兼アマチュアフォトグラファー

 

エド・ピーターはポルシェUSAのセールスマネージャーを務めていた。彼はまた非常に才能溢れるアマチュアフォトグラファーでもあった。今回は、ピーターがポルシェと共に撮った作品をいくつか紹介しよう。

 

ニューヨークで空き時間があると、ピーターはイーストリバーの対岸へと向かうことが多かったという。そこはブルックリン、彼は港湾施設を望む丘へと登りテラスに車を停めた。

 

「そこから見るマンハッタンのサンセットは、信じられないほど素晴らしかったのです」

 

50年前を思い出し、ピーターは目を細めた。それはまるで、妻と共に暮らすドイツ・シュトゥットガルトのキレスベルクからマンハッタンの黄昏時を見ているかのようだ。

 

1965年式ポルシェ911 2.0とエド・ピーター。この写真はピーターがフロリダへのロングトリップに赴いた途中に海岸で撮影されたもの

 

ドイツ製カメラ「エディクサ」を抱えてニューヨークの街へ

 

ピーターは1960年代半ばから米国市場のマネージャーを務めており、その後、海外地域全体の責任者にも任命されている。月曜日から土曜日までポルシェで忙しく働いていた彼だったが、日曜日にはポルシェの次に情熱を傾けていた写真撮影に勤しんでいた。

 

シュトゥットガルト出身の彼は、1960年代から1970年代にかけてニューヨークの摩天楼と郊外を、カメラを携えてポルシェで走り回ったのだ。

 

「当時のニューヨークは私に様々な感情をもたらしてくれました。誰もがオープンで、どこへ行ってもそこにいる誰かと話すことができたのです。それはもう圧倒的な刺激の連続でした」

 

この背の高い男性と誰もが話をしたかったのだろう。それもそのはず、ピーターはポルシェを大都市の真ん中に駐車し、愛機のドイツ製カメラ「エディクサ(Edixa)」を取り出して撮影を始めたのだから。

 

「あの頃のニューヨークではまったく問題にはなりませんでした。でもすぐに人々がクルマに群らがったので、とにかく素早くシャッターを切る必要はありましたけどね(笑)」

 

ポルシェはニューヨークの街角でもとにかく目立った。

 

「誰もが『この最高にかっこいいクルマはなんですか?』と聞いてきたものです。まだポルシェという自動車メーカーを知らない人が少なくなかった時代でしたから」

 

ポルシェUSAのセールスマネージャーを務めていたエドハート・マイケル・ピーター。1960年代から1970年代のNYとポルシェをカメラで切り取った

 

アマチュアフォトグラファーとしてF1の撮影も

 

本名エドハート・マイケル・ピーターは、1931年にシュトゥットガルトで生まれた。1964年に彼は某自動車メーカーからポルシェに転職する。ポルシェにおいて彼はセールス部門で働くことを希望していた。セールス部門の上司は、彼に英会話能力があることを知りたがったという。

 

当時シュトゥットガルトに駐留していたアメリカ人と毎日のようにバスケットボールを楽しんでいたピーターは、アメリカのアクセントが効いて洗練された英語で答えた。「彼らはたいそう驚いていましたよ(笑)」 と、ピーターは笑う。その後ピーターは輸出部門のマネージャー付きアシスタントになり、2年後に米国市場を任されることになった。

 

ピーターは1950年代から写真を趣味にしていた。 1957年、彼は有名なモータースポーツフォトグラファーのジュリアス・ヴィットマンとともにF1モナコGPを撮影している。

 

「私たちは巨大なカメラを持って、サーキットを走り回っていました。今のようなカメラマンを守ってくれるクラッシュバリアもない時代でしたけどね(笑)」

 

彼の被写体は常に自動車だった。彼はセールスの現場で働きながら同時に写真も愛し続けた。プロとして活躍するのではなく、あくまでも趣味に留まっていたが、その芸術に対する情熱は本物だ。彼はアメリカでの休日のほとんどを撮影に使っていたのだから。

 

ポルシェ912タルガとエド・ピーター。お気に入りの撮影ポイントはマンハッタンの港湾地区で、駐車禁止の場所で撮影中にしばしば警察に声をかけられたという

 

お気に入りのポルシェは911カブリオレとタルガ

 

前述のように日曜日は彼の撮影日だった。ハドソン川を渡ってニュージャージーに行ったり、朝のハーレムを訪れたり。例えばハドソン川ではクルマを所定の位置に停めていなかったため、しばしば警察からのクレームを受けることもあった。

 

「ニューヨークの警察官はいつだってフレンドリーでした。ポルシェがいつも私を助けてくれたんです。ハーレムではドレスアップして教会へと向かう人の波に驚かされました。あの光景は今でも忘れられません」

 

写真に収められたのは、多くがピーターの愛車だった。その人生において何千台ものポルシェを見てきたが、お気に入りは911カブリオレとタルガだという。

 

「ポルシェはどのアングルから見ても美しいクルマです。見ているだけでいつも直感的にシャッターを押してしまいます」

 

撮影時に彼が重視していたのは、いかにその場の風景に溶け込ませるかだった。

 

「当時のニューヨークが素晴らしかったのは、建築物がクルマと絶妙に調和していたことです」と、ピーターは写真をダイニングテーブルに広げながら呟いた。

 

「なぜだか分かりませんが、昨日撮影されたようにも見えますね。この写真を初めて見たら、そう思ったかもしれません」

 

メトロポリタン歌劇場の前に整然と駐められた2台の1965年式ポルシェ911 2.0。今となっては実現するのが難しい撮影シチュエーションだ

 

二度と公開されることのないニューヨークでの美しい日々

 

911のアイコニックなフォルム、そしてニューヨークの街並みは現在も大部分が残されている。

 

ピーターの写真の多くは直感的なスナップショットだが、二度と訪れることのない時代のドキュメントでもある。今回メインカットに選ばれたのは、5番街に停められたポルシェ912タルガ。その背景には真っ直ぐアスファルトリボンが通っている。確かに大都市の光景ではあるが、まだどこか牧歌的な雰囲気も残されている。

 

1970年代、ピーターはドイツへ戻って販売と輸出部門のマネージャーに就任し、1993年にポルシェを退職。在職時は職務の傍、ポルシェがスポンサードするテニストーナメントのトーナメントディレクターを務め、FIAとDTMで50年近くにわたって役員として活躍した。しかし故郷ではアメリカ滞在中ほど写真を撮ることはなかった。

 

1967年のコネチカット州にて、ポルシェディーラーMalcolm Prayとの1枚。愛犬と戯れる彼と912タルガ、911 2.0が当時の空気感を感じさせる

 

退職後、彼は何万枚ものフィルムをデジタル化しコンピューターに保存した。 多くの写真集やポルシェ・アーカイブ内の写真とともに、彼の作品もまた貴重な芸術的遺産と言えるだろう。しかしピーターは自身の写真について喧伝することはなかった。

 

「ほとんどの写真は自宅に保管されたままです。これらは私の個人的な日記ですから」

 

あまりにも美しい日々は、残念ながら公開されることはない。このインタビューの数ヵ月後の2019年6月16日、エド・ピーターは87歳で帰らぬ人となった。