池沢早人師が愛したクルマたち『サーキットの狼II』とその後【第7回:2人でゴルフにも行けたテスタロッサ】

公開日 : 2019/12/28 17:55 最終更新日 : 2019/12/28 17:55

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サーキットの狼II、池沢先生のフェラーリ テスタロッサ

1980〜90年代フェラーリのフラッグシップ

 

『サーキットの狼』の連載終了から10年後、1990年代のバブル期と共に復活を遂げた第二章『サーキットの狼II モデナの剣』には数々のスーパーカーが登場し、主人公の“剣・フェラーリ”と共に痛快な物語を展開していく。

 

ここでは両作品の作者であり、スーパーカーの第一人者として一家言を持つ池沢早人師先生をお訪ねし、90年代を駆け抜けた名車たちの思い出を語って頂く。今回はフェラーリの新時代を切り拓いた12気筒モデル「テスタロッサ」にフォーカスを当てて、当時を振り返ってみたい。

 

サーキットの狼II、池沢先生とフェラーリ テスタロッサ

1988年に撮影された池沢先生とフェラーリ テスタロッサのスナップ写真。池沢先生が都合2台所有したテスタロッサの初代にあたる。

 

フェラーリ教の教祖を生んだテスタロッサ

 

『サーキットの狼』では、主人公の“風吹裕矢”が駆るロータス ヨーロッパのライバルとして数々のスーパーカーが登場した。その中でも人気が高かったのがフェラーリとランボルギーニだ。当時のスーパーカーショーでもディーノ 246GTや12気筒エンジンを搭載した365BBには大勢のファンが群がっていたからね。

 

ボク自身も12気筒フェラーリが大好きで、365BB、512BB、512BBiと3台を乗り継ぎ、戦闘的で美しいスタイルと官能的なエンジンに魅了されてしまった。細かい話をすると、キャブレターからインジェクションへと変更された512BBiはマイルドになってしまった印象はあるけれど、当時を代表するフラッグシップ・フェラーリとしての威厳や存在感は素晴らしかった。最近は8気筒モデルがフェラーリの中心になってしまったが、1980年代は「フェラーリ=12気筒」ってイメージがあったからね。逆に8気筒モデルは「リトルフェラーリ」と呼ばれ12気筒フェラーリが買えない人向けの“廉価版”的なイメージさえあった。

 

そんなBBシリーズが生産を終えて、フラッグシップのバトンを受け継いだのが「テスタロッサ」だ。フェラーリファンとしては往年の名車である「250テスタロッサ」や「500テスタロッサ」の名前が復活したことへの驚きと喜びは大きかった。それにサイドダクトのフィンが近代的なイメージを醸し出していてセンセーショナルだったね。

 

サーキットの狼II、フェラーリ テスタロッサのサイドインテーク

フェラーリ テスタロッサの代名詞ともなったフィン付きのサイドインテーク。リヤフェンダーは大きく拡幅され、迫力のスタイルを実現していた。

 

ボクはBBの後継モデルとして1987年にテスタロッサを手に入れたんだ。フェラーリレッドのボディにクリーム色の内装がカッコ良かった。この組み合わせはボクのお気に入りで、後に手に入れたF430でも同じ仕様にしたほど。話が逸れてしまったけど初めて手に入れたテスタロッサはセンターロック式の初期の本国仕様モデルで、低く構えたアグレッシブなスタイルとワイド感に胸がときめいたことを今でも覚えている。

 

実際にドライブした印象は、華やかなスタイルから想像するよりもすごく乗りやすいってこと。これは北米のマーケットを意識したグランドツアラー的な味付け。ヘッドカバーを赤く塗装したテスタロッサ(※編集部注:イタリア語で「赤い頭」という意味)の12気筒エンジンは高回転型ではなくトルク重視の設定で、2メートルに迫る車幅さえ気にしなければフェラーリに初めて乗る人でも簡単に運転することができると思う。365BBや512BBの刺激を知っているボク的には大人しすぎてモノ足りなさを感じてしまったけど「良くできたフェラーリ」であることは間違いない。

 

当時、人気のあったビデオのメディアが広報車両でテストをした結果、256km/hの最高速度が報告されていた。でも、明らかにボクの乗っているテスタロッサはそんなものではないと、フェラーリの名誉のためマイカーでのテストを申し出た。レーサーであり自動車ジャーナリストの中谷明彦さんにテストしてもらったら実速で288km/hの最高速度をマークした。中谷さんは「もう少しいけそうだったなあ」と言ってくれたけど、290km/hのカタログ値にわずかに届かなかったのは、谷田部のテストコースのバンクが抵抗になったんだろうと思う。

 

サーキットの狼II、フェラーリ テスタロッサのリヤスタイル

ボディサイズは全長4485×全幅1976×全高1130㎜と、当時のフラッグシップに相応しい堂々とした巨躯を誇る。乗り味は見た目とは裏腹にマイルドでGT的な性格だった。

 

この結果は、ボクのテスタロッサがケーニッヒのマフラーに交換されていたのも大きかったかも。12気筒が別物のようなレスポンスになっていたからね。排気効率が上がったことで最高速の伸びに繋がっていたのかもしれない。でもケーニッヒのマフラーは速度以上に“音”が良くってねぇ。エンジン回転を上げていくと上質な管楽器のように官能的なサウンドを奏でてくれるんだ。このテスタロッサは後に知り合いに譲ることになったんだけど、お気に入りのマフラーも「是非譲ってほしい!」と頼まれた(笑)。

 

富士スピードウェイで走行したこともあるけど全開走行では3周が限界。やっぱり市販のフェラーリは実際に出るスピードに比べブレーキが弱かったね。それに100Rのコーナーで攻めすぎたせいなのか、リヤウインドウにストレスが掛かって亀裂が入っちゃった。ブリヂストン製のハイグリップタイヤに交換していたこともあって、コーナーでのGがボディに掛かった可能性もあると思う。

 

2シータークーペでありながらも室内空間は意外と広く、大柄なアメリカ人の体型を意識したのかシートの前後スライド量が大きいのが特徴。ボクのドライビングポジションだとシートの後ろにゴルフバッグを2セット積むことができたから、当時はテスタロッサにゴルフバッグを積んでコースに通っていた。クラブハウスでバッグを降ろす時、キャディさんに笑われたけどね。

 

サーキットの狼II、フェラーリ テスタロッサのエンブレム

フェラーリの伝統的なデザインである丸目テールライトを廃し、角型ライトをブラックの梨地塗装されたルーバーが覆うデザインを採用した。

 

2台目のテスタロッサは1992年頃に手に入れた。ホイールがセンターロックから5穴に変わった後期モデル。512BBの時も同じで、クルマを手放すとまた乗りたくなるのがボクの悪いクセ。でもね、2台目は感動が薄くなるのか、不思議なことに手に入れてみると最初のクルマほど楽しくなくてすぐに手放しちゃった。

 

そういえば、最初のケーニッヒマフラーのテスタロッサは自動車ジャーナリストの清水草一クンを新青梅街道で乗せたことがあり、その時の影響で「フェラーリ教」の教祖が誕生したと言う逸話を持っている。『モデナの剣』の担当編集者だったシミちゃん(※編集部注:池沢先生が清水草一氏を呼ぶ愛称)がフェラーリに傾倒するきっかけになった由緒ある一台だ。

 

ワイドな車幅は駐車場選びに苦労したけれど、テスタロッサは完成度の高いクルマだと思う。ダクトフィンをデザインした斬新なスタイルは1990年代のトレンドを築き上げ、多くのメーカーに影響を与えたことは間違いない。北米を意識し過ぎたGT的な味付けではあるけれど、スーパーカーを代表する12気筒フェラーリとして「速い」、「カッコイイ」、「乗りやすい」の三拍子がしっかりと揃っている素晴らしいクルマ。今でも乗ってみたいと思わせる魅力的な一台だね。

 

サーキットの狼II、フェラーリ テスタロッサのフロントスタイル

当初からアメリカ市場を意識してフロントノーズに実用的なラゲッジスペースを確保するため、サイドラジエーター方式を選択。それがテスタロッサの特徴であるフィン付きのサイドインテークを生んだ。

 

Ferrari Testarossa

フェラーリ テスタロッサ

 

GENROQ Web解説:斬新なデザインとGT的乗り味で一世を風靡

 

1947年に設立されたフェラーリ。その歴史は古く数々の名車を誕生させてきた。モータースポーツ、市販車の両軸で常に最高峰に君臨し続ける手腕は、創始者であるエンツォ・フェラーリならではの哲学を礎とする。その歴史はレーシングカーである125 Sから始まり、現在の812シリーズやSF 90へと辿り着く。

 

ここで紹介する「テスタロッサ」は、70年代から80年代を席巻したフェラーリの12気筒モデル365BB、512BBの血統を受け継ぐフェラーリのフラッグシップモデルであり、84年のパリ・サロン前日にお披露目された。その名前の由来は60年代に活躍した名車250 TR(テスタロッサ)、500 TR(テスタロッサ)を継承したものだ。

 

サーキットの狼II、フェラーリ テスタロッサのエンジン

フェラーリのロードカーとしては初の気筒あたり4バルブを採用した5.0リッターV型12気筒DOHC“ティーポF113”を搭載。欧州仕様が390bhp、北米仕様は380bhpを発揮した。

 

フェラーリのフラッグシップとして搭載されたパワーユニットは4943ccの排気量を持つV型12気筒DOHCエンジン。これをミッドシップし、ボッシュ製のKジェトロニックにより燃料を供給する。ベースのエンジンを先代の512BBiから受け継ぐものの、フェラーリのロードカー初の4バルブ化を図ることでパフォーマンスを格段に向上。本国仕様では390bhp/6300rpmの最高出力を発揮するが、アメリカ仕様(日本仕様も同様)では排ガス規制を受けて380bhp/5750rpmへと変更されている。

 

メーカーによる表記では5速MTを介することで最高速度は290km/hと発表している。車名のテスタロッサとはイタリア語で「赤い頭」を意味し、180度のバンク角を持つ12気筒エンジンのカムカバーが赤く塗装されているのが大きな特徴。

 

2シーターのスポーツクーペ然としたキャビンを持つ同車だが、エンジン位置を後部へと押しやることで快適な居住空間を実現。その結果、MRではありながらもRRに近い重量配分となり、安全基準を受けた車両重量増の影響と共にグランツーリズモ的な落ち着いたハンドリングとなる。先代のBBシリーズと比較してマイルド化されたことを嘆く声も多かったが、より多くのスポーツカーファンを獲得したことは間違いない。

 

サーキットの狼II、フェラーリ テスタロッサの透視図

スチール製チューブラーフレームのミッドに、ドライサンプで重心高を下げたV12エンジンを搭載。サスペンションは前後ダブルウイッシュボーンでトランスミッションは5速MTを採用。

 

ピニンファリーナによるデザインはワイド&ローの挑戦的なフォルムが大きな特徴。ボディの両サイドに設けられた大きなラジエーターダクトには5本のスリットをデザインすることで戦闘的なイメージを具現化している。その斬新なスタイルは1990年代を代表するデザインモチーフとなり、カスタムカーのトレンドとしても市場を席巻した。初期モデルのディメンションは全長4485×全幅1976×全高1130mm、ホイールベース2550mm、車両乾燥重量は1506kgを計上している。

 

1984年にデビューを果たしたテスタロッサだが、その変遷は前期型、中期型、後期型の3つに分類される。84年から発売されたモデルを初期型とし、86年モデルとしてマイナーチェンジを施したモデルが中期型となる。その内容はAピラーの中ほどに取り付けられていたミラーステーをAピラーの根元に移設。また、スペックに変わりはないものの燃料供給方式を従来のKジェトロニックからKEジェトロニックへと変更している。89年から最終の92年までのモデルを後期型と呼び、センターロック方式であったホイールを一般的な5本のナット方式へと変更。アライメントに手を加えることでより快適なハンドリングを実現した。

 

フェラーリのフラッグシップとして新たな時代を担ったテスタロッサは8年もの長きに渡り活躍するものの、1992年に後継モデルである512 TRの登場と共に生産が中止された。後継モデルの512 TRは「テスタロッサとは別のクルマ」とリリースされたものの、初代テスタロッサの血統を濃厚に受け継ぐモデルであり、リトラクタブル式のヘッドライトや両ラジエーターダクトのフィン、ルーバーを備えたテールランプなどの基本デザインが踏襲されている。車名でもあるTRは「テスタロッサ」を意味していることもあり、テスタロッサのDNAは確実に次の時代へと引き継がれたのである。

 

 

TEXT/並木政孝(Masataka NAMIKI)

 

 

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