ポルシェの革新的技術を象徴するエンジニア、ハンス・メツガーの生涯

公開日 : 2020/01/18 11:55 最終更新日 : 2020/01/18 11:55


ポルシェ 911 ターボとハンス・メツガー

Porsche 911 Turbo(1975)

ポルシェ 911 ターボ(1975)

 

 

芸術的才能にも恵まれたポルシェを代表するエンジニア

 

ピアノを弾くにしても、絵画を描くにしても、そしてレーシングエンジン開発に関しても・・・ハンス・メツガーはあらゆる才能に恵まれた人物だった。

 

モータースポーツファンなら誰もが思い浮かべるというレーシングエンジニア&デザイナーは、そう多くはないだろう。そのひとり、ポルシェ・ファンにとっては絶対的な存在がハンス・メツガーである。彼はポルシェ 911に搭載された空冷ボクサー6エンジンの設計に携わり、さらには大成功を収めた917の開発やF1マシン用TAG V6ターボエンジンも彼が担当した。

 

ポルシェ917とハンス・メツガー

1929年にドイツで生まれたメツガーは、ナチスドイツ支配下の第三帝国で幼少期から青春期を過ごした。当時、彼が最も興味を持っていたのは、航空機の分野だった。

 

ドイツ第三帝国時代に持った航空機への興味

 

メツガーは1929年11月18日、ドイツ・シュトゥットガルト郊外のルートヴィヒスブルク近くの小さな村、オットマースハイムで 5人の兄弟の末っ子として生まれている。彼の両親はこの田舎町で小さな宿を経営していた。

 

メツガー一家にとって何よりも重要だったのが芸術と文化だ。 「家族のほぼ全員が絵を描く才能を持ち、楽器を演奏していました。私は好奇心に満ち溢れた小学生で、音楽から物理まで、あらゆるものに興味を持っていました」と、メツガーは幼少期を振り返っている。

 

若いメツガーを魅了したものが航空機だった。彼は近所のグライダークラブに加わり、その飛行旅行にも参加したという。

 

「本当は自分でグライダーを操縦したかったのですが、当時の私は若すぎました」

 

屈託のない幼少期から複雑な思春期にかけて、ドイツはまさにナチスによる第三帝国と第二次世界大戦の真っ只中にあった。1945年4月18日、第二次世界大戦終結のわずか3週間前、メツガーは偽造診断書によって戦争への従軍を逃れている。

 

1968年のデイトナ24時間でのハンス・メツガー

敗戦後のドイツでは、連合国により航空機の開発・製造が禁止されていた。そのため、志していた航空機開発を諦め、シュトゥットガルト大学で機械工学を学び、ポルシェへの入社を決める。写真は1968年のデイトナ24時間での1枚で、左から二人目がメツガー。

 

禁止された航空機開発を諦めて機械工学の分野へ

 

戦後、連合国によってドイツ国内での航空機の設計、製造、運用が禁止されたため、彼が趣味にしていたグライダーでの飛行もできなくなっていた。1951年にはグライダーでの滑空が許され、さらに1955年には動力飛行も解禁されている。

 

「航空機の分野はあまりにも制限が多かったので、もしその分野に携わろうとしたら連合国からの解禁を待つ必要がありました。それで私は方針を変えて、現在のシュトゥットガルト大学で機械工学を学ぶことに決めたのです」と、メツガーは振り返る。

 

1956年、卒業の際には彼の元に就職先が殺到したという。「28もありましたよ」と彼は笑う。

 

「そのなかにポルシェはありませんでした。でも、356の存在があまりにも衝撃的だったので、どうしても私はポルシェに入社したかったのです。すぐに応募すると、会社から呼ばれて私にトラクター開発の仕事を与えてくれました」

 

タイプ753エンジンを開発するハンス・メツガー

ポルシェ入社後、すぐに頭角を現したメツガーは、希望していたスポーツカーとレーシングカーの開発に携わることになる。写真はF1用のタイプ753エンジンを開発するメツガー(左から二人目)。

 

トラクターから念願のスポーツカーとレーシングカーの分野へ

 

「トラクターの開発をしながらも、私は常にスポーツカーやレーシングカーの開発部門に加わることばかりを考えていましたね。幸運だったのは、最終的にそれが叶ったことです」

 

それからは様々な出来事が矢継ぎ早に起こったという。4カムシャフト・エンジンの開発で功績を挙げ、1960年にはポルシェとしては初のF1プロジェクトに参加。1.5リッター8気筒エンジン「タイプ753」の開発にも携わっている。

 

「当時のポルシェはまだ小さな会社だったので、本当に色々な作業を同時進行することになりました。エンジンに携わるスタッフであっても時々シャシーの開発作業も行っていましたから(笑)」と、89歳のメツガーは懐かしそうに目をつぶった。

 

フェリー・ポルシェとハンス・メツガー

1960年代はメツガーにとって、黄金期と呼べる時代かもしれない。歴史に残る多くの傑作エンジンやレーシングカーを次々とデビューさせている。当時、彼が尊敬しロールモデルとしていたのが写真のフェリー・ポルシェだという。

 

革命的なエンジンやレーシングカーを次々に開発

 

その後、誰もが知る901/911用「メツガー・エンジン」を開発。1965年にはフェルディナント・ピエヒが立ち上げたレーシングカー開発部門のトップに就任している。1960年代半ばは彼にとって最もエキサイティングでワイルドな時期だったに違いない。

 

「時には24時間以上働きましたよ(笑)。たとえば1965年のヒルクライム用マシン『オロン・ヴィラール・スパイダー(Ollon-Villars-Spyder)』は、たった24日で製作しましたから」

 

このオロン・ヴィラール・スパイダーのチューブラーフレームとグラスファイバー製ボディは、ポルシェ904をはじめその後数年間活躍したポルシェ製レーシングカーのベースとなっている。これが1968年に登場した917へと続いた。メツガーは12気筒エンジンを搭載した917開発の指揮をとり、大成功を収める。そして1974年にはレースで培ったターボ技術を市販モデルに投入、911ターボが世に放たれたのである。

 

ニキ・ラウダとハンス・メツガー

1983年シーズンから投入されたTAGポルシェ、1.5リッターV型6気筒エンジンはF1グランプリを席巻。1984~1985年にコンストラクターズ選手権2連覇を達成。写真のニキ・ラウダが1984年にドライバーズ選手権王者に輝いている。

 

マクラーレンをF1王者へと導いたV6ターボエンジン

 

F1チームのマクラーレンを率いていたロン・デニスは、当時グランプリを席巻し始めていたターボエンジンを求め、TAGを通じてポルシェとの契約を締結する。そして、1983年シーズンからの投入を目指し、F1用ターボエンジンの開発が決定された。メツガーはこの1.5リッターV型6気筒ターボエンジンの開発を主導し、最終的に1000psを超えるパワーを発揮した。

 

TAGポルシェV6エンジンを搭載したマクラーレンは、1984〜1985年と2年連続でコンストラクターズ選手権を制覇。ドライバーズ選手権でも1984年にニキ・ラウダ、1985〜1986年にアラン・プロストが王座を獲得している。

 

1950年代からポルシェの開発部門の中心として活躍してきたメツガー。90歳を目前とした今も、ポルシェと密接な関係は続いている。