靴の神様に愛された日本の匠。英国靴職人・川口昭司とビスポークの世界。
公開日 : 2020/03/22 11:55 最終更新日 : 2020/03/22 22:36
手作りのビスポークシューズを作りたい
「びっくりしたんですよ。こんなに綺麗な靴が存在するのかって」
2002年、英国ノーザンプトンのミュージアム。展示台に飾られた1900年代初頭のシューズの前にひとりの青年が立ち尽くしている。川口昭司、22歳。福岡大学を卒業し、イギリスにある公立の職業訓練校トレシャム インスティテュートで靴づくりを学んでいた彼の進むべき道が決まった瞬間だった。
手作りのビスポークシューズを作りたい。でも教えてくれる人は果たしてどこにいるのだろうか。夢中で便箋に思いの丈を書きつけた川口は、色々なビスポークの会社へ手紙を送った。そして出会ったのが師匠、ポール・ウィルソン。ジョージ・クレバリーやジョンロブ パリなどで活躍するマスター級の靴職人だった。
弟子から友だちへ
師がアトリエを構えるニューキャッスルへ勇んで引っ越した川口だったが、最初は何も教えてもらえなかった。いわゆる「目で盗め」という伝統的な職人世界の慣習だったのだろう。つまりそれは出来るようになれば認めてくれるということでもあり、技を習得するほどに厳しかった氷は次第に溶けていく。2003年から3年半。師匠のもとで技を磨くうちに弟子からいつしか「友だちのような関係」になった。
木型、型紙づくり、革の裁断や漉き、縫製、つり込み、底付け。マスターのもとですべての工程を学んだ川口は独立し、フォスター&サン、エドワード・グリーンといった名門ビスポーク靴店のアウトワーカーとして活躍した。
世界中からやってくる目利き
2008年に帰国した川口だったが、依然として彼の腕を見込んでアウトワーカーの依頼が英国からやってきた。「向こうから木型や材料を送ってきて、日本で作ってイギリスに送り返していました」
そして2010年に立ち上げたのが自身のブランドであり、独立したビスポークシューメーカーである「マーキス(Marquess)」だ。
いま「Shoji Kawaguchi」という靴職人の名は、美しく繊細で、かつ力強さと普遍性をあわせもつシューズの佇まいとともに目利きの間でつとに知られている。完全予約制の銀座の店舗には、“川口さんの靴を買うため”だけに日本国内はもとより世界中からファンがやってくる。
納期は約一年半
店舗フロアの上階にある小さな工房では現在2名の職人と川口さんがハンドメイドでフルオーダーの靴を日々生産しており、自宅でも同じ師匠に師事した奥様が革の縫製を行っている。打って叩いて削って漉いて、気の遠くなるほどの手作業の末に完成する製品は、スタッフがフル稼働しても月に作れるのは「7〜8足」が限界。注文してから“納車”までおよそ一年半かかるというのも納得だ。
「これ、見てください」
川口が差し出したのは、いかにも長年履き続けてきた風情の一足の靴。しかし不思議とくたびれた様子ではなく、飴色の艶にも嫋やかなフォルムにも独特のニュアンスがあって一種の凄みさえ感じさせる。
「イギリスって、本当に長い間大切に一足の靴を使い続ける方がいるんです。剥げてもひび割れても直してまた履く。手作業でないと直せないからお金だってかかります」
これだったら新しいのを一足作ってしまった方がいいじゃないか。最初はそうも考えた。でも客は言う。「長年履いているこれがいいのだ。お金の問題ではない」と。自分と共に十年、二十年を過ごしてきた。忘れられない瞬間を共に送ってきた相棒でもあり、自分の一部でもある。もちろんそれを作った職人に対する想いもあるだろう。
金額でもブランドでもない「人」という購入動機
いま、世の中にはいいものが溢れている。お金があれば一流品がどこでも手には入り、特別な経験も出来る。では人は、どこに本当の価値を見い出せばいいのか。
「人ではないでしょうか」
川口は言う。この人が何十時間もかけて作った靴を履きたい。そういう買い物ってとても素敵だと思うんです、と。
ものの向こう側に見えるのがプライスタグやブランドのロゴではなく、それを作った職人の顔だったら、なんだか使っていて嬉しくなるし、もっと大切に扱おうと考える。所作振る舞いにもそれは表れるに違いない。
イギリスのビスポークは客と職人の距離が近いという。技術はもちろん大切だが、それ以上にお客さまのことを理解することが重要だから、川口は靴の注文を受け付けるときはファッションから趣味、仕事などあらゆる話題を交わす。デザインやサイズだけの形式的な“問診”では作れない。いみじくもビスポーク(=be spoken、話し合う)という言葉そのものが本質を指している。
未来のヴィンテージへ
マーキスの店内には「TURKEY SPONGE(かつてイギリスにあった薬局の名前らしい)」と書かれたマホガニーのアンティーク棚があって、その中には1900年代初頭のヴィンテージ靴が置かれている。ガラスケースの向こう側に拡がる、18年前に22歳の青年が魅せられた世界。
「1910年から30年代くらいまでが英国の靴の黄金期です。手で作る職人がたくさんいて、それぞれが切磋琢磨していた時代だからとてもレベルが高い」
この時代の靴から学ぶことはまだまだたくさんあるという。しかし、川口が見つめているのは過去ではない。自分の靴がヴィンテージになる未来だ。今日も川口は銀座の一角でビスポークの高みを目指している。
Profile
川口昭司(かわぐち しょうじ)
1980年、福岡生まれ。2002年に渡英し英国ノーザンプトンにある公立靴職業訓練校で靴づくりを学ぶ。学校近くにあった靴のミュージアムで1900〜1920年頃のクラシックシューズに魅了され、以来クラシックシューズづくりに邁進。ジョージ・クレバリーやジョンロブ パリの職人であったポール・ウィルソン氏に師事したのち、名門ビスポーク靴店のアウトワーカーとして活躍。2008年に帰国し2010年に自身のブランド「マーキス(Marquess)」設立。木型からすべてフルビスポークのハンドソーン専門にこだわるゆえ、月に生産できるのは「7〜8足」。
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