巨星スターリング・モスが逝去。マセラティが偉大なるドライバーの死を悼む

公開日 : 2020/04/14 07:55 最終更新日 : 2020/04/14 07:55


マセラティ、スターリング・モス卿の逝去に捧げる追悼イメージ

スターリング・モスとマセラティの強い繋がり

 

モータースポーツ界の巨星、サー・スターリング・モスが2020年4月12日に逝去した。享年90歳。あまりにも偉大なレーシングドライバーの死に、マセラティが追悼リリースを発信している。

 

スターリング・モス卿とマセラティの結び付きは強い。彼がモデナに訪れた最後のイベントのひとつが、ミュゼオ・エンツォ・フェラーリで行われたマセラティ100周年の記念展示だった。居並ぶマセラティの名車一台一台について、モスは自らの言葉で細かく説明していった。

 

「250 Fはとても速く、あらゆる挙動でドライバーを満足させた。300 Sはバランスが素晴らしく、飛び抜けて運転しやすかった。そしてこの2車の特徴を併せ持っていたのがティーポ61 バードケージだね」

 

スターリング・モスのイメージ

イギリスが生んだ偉大なるレーシングドライバー、サー・スターリング・モス。2020年4月22日に90歳で逝去した。

 

モスに愛された栄光のマシン、マセラティ 250 F

 

250 Fは彼のお気に入りのシングルシーターだった。モスは1956年5月13日のモナコGPで、シャシーナンバー2522を刻んだこのマシンと共に輝かしい勝利をあげている。彼にとって誇りでもあるその車両は、長年にわたりプライベートコレクションとして大切に保管されていた。

 

1956年にモンツァで行われたイタリアGPもモスは250 Fで1位を獲得している。その後塵を拝し2位に甘んじたのは、ピーター・コリンズからランチア フェラーリ D50を譲り受けたファン・マヌエル・ファンジオだった。

 

マセラティ 250 Fとスターリング・モス卿イメージ

イタリアのアイスクリームメーカー「エルドラド」のコーポレートカラーをまとったマセラティ420M/58を駆るサー・スターリング・モス。

 

無冠の帝王と呼ばれた最高のドライバー

 

サー・スターリング・モスは1929年9月17日に英国ロンドンで生まれ、生涯そこを離れなかった。

 

モス一族にとって、レースとは定めのようなものだったのかもしれない。彼の父親アルフレッド E. モスは1924年にインディアナポリスで16位を記録。妹のパット・モス・カールソンもラリー界で活躍した。

 

スターリング・モス卿は1951年から1961年にかけてのF1で66のグランプリに参戦、うち16のレースを制した。しかしその強さをもってしても1955年から1958年は4年連続で2位に甘んじている。同僚やライバルから最高のドライバーと称えられていた彼が、“無冠の帝王”と呼ばれる理由である。

 

スターリング・モスとマセラティ 250 Fイメージ

モスは1956年5月13日のモナコGPをマセラティ 250 Fで制している。

 

「スターリング・モスになったつもりか」

 

モスはまた、F1だけでなく公道レースにも伝説を刻んだ。1955年のミッレミリアは10時間7分48秒という大記録で優勝を遂げている。さらに、セブリング12時間、ツーリスト トロフィー、タルガ フローリオといった錚々たるレースを制してきた。

 

1950〜60年代のイギリスでは、スピード違反のクルマを止めた際にイギリスの警官が発する常套句があった。

 

「スターリング・モスにでもなったつもりか?」

 

彼の人気がいかほどのものだったか、よく分かる。

 

モスは晩年まで精力的な活動を続けた。メルボルンで見かけたはずの彼が24時間後にはNYのTVに出演している、などということも珍しくなかった。ステアリングを握る限り、モスに疲れは無縁だった。

 

マセラティは、スターリング・モスがマセラティブランドに与え得てくれたものに感謝し、今後も彼を忘れることはないと追悼を捧げている。