ポルシェでラリーとサーキットを制した究極のオールラウンダー、ジェラール・ラルースが80歳に

公開日 : 2020/05/29 17:55 最終更新日 : 2020/05/29 17:55

80歳の誕生日を迎えたジェラール・ラルース

NSUのワークスドライバーとしてキャリアをスタート

 

5月23日、ポルシェのワークスドライバーを務め、ラリーやル・マン24時間、F1で活躍したジェラール・ラルースが、80歳の誕生日を迎えた。

 

ジェラール・ジル・マリー・アルマン・ラルースは、1940年にフランス・リヨンで生を受けた。彼の父親はリヨンで繊維工場を経営していたが、会社を継ぐつもりは一切なかったという。「幼い頃からバイクやスポーツカーが大好きでしたけど、家族は私の将来について別のプランを考えていました。父にとってクルマはただの移動手段でしたからね(笑)」と、ラルースは振り返る。

 

パリで商業学校に通っていた21歳のときに、彼は初めてフランスの国内ラリーに参戦する。学校を卒業し兵役を終えたラルースは、1966年にモータースポーツの世界で生きていくことを決意した。

 

「最初にワークスドライバーとして加入したのはフランスNSUでした。その後、アルピーヌに移籍して2シーズン走りました」

 

ポルシェ911でラリーに参戦するジェラール・ラルース

アルピーヌのワークスドライバーとして、1968年のラリー・モンテカルロでヴィック・エルフォードと戦ったラルース。その翌年、エルフォードの推薦でポルシェに加入する。写真は1969年のモンテカルロに911Sで参戦した時の1枚。

 

盟友ヴィック・エルフォードの推薦でポルシェへ

 

1968年のラリー・モンテカルロ、ラルースはアルピーヌのワークスドライバーとしてA110 1300Gを駆り、ポルシェ・ワークスから参戦するヴィック・エルフォードの911 Tと熾烈な優勝争いを繰り広げた。しかし、観客が投げ入れた雪によってマシンコントロールを失い、大きく後退してしまう。それでも彼のスピードは非常に大きなインパクトを残すことになった。

 

ラリー後、ポルシェのチーフエンジニアだったピーター・フォークが「最高のフランス人ドライバーは誰か」とエルフォードに尋ねると、「ジェラール・ラルースだ 」とエルフォードは即答。こうして1968年11月、ラルースはポルシェ・ワークスに加入した。

 

1969年シーズンの開幕戦、ラリー・モンテカルロ。ラルースはチームメイトのビヨルン・ワルデガルドに続く2位に入った。そのシーズンのネージュ・ド・グラスラリーとツール・ド・コルス、さらにツール・ド・フランスでは勝利を飾った。

 

「ツール・ド・フランスは8日間の日程で行われました。ラリーとヒルクライムがミックスされた過酷なイベントで、ドライバーは両方のカテゴリーでの速さを要求されました。どちらも速いドライバーはごくわずかでしたが、中でもヴィック・エルフォードは特別な存在でしたね」

 

ルシェ908LH クーペで2位に入った1969年のル・マン

911でラリーやヒルクライムを戦いながら、並行してサーキットでも活躍。ポルシェから参戦したル・マン24時間では、1969年、1970年と2年連続で2位表彰台を得た。その後、マトラを駆って1973〜1974年のル・マンを連覇した。写真はポルシェ908LH クーペで2位に入った1969年のル・マン。

 

ポルシェから参戦したル・マンで2年連続2位表彰台

 

ラリーを戦いながら、ラルースはサーキットでも活躍を見せている。1969年のル・マン24時間レースではハンス・ヘルマンとのコンビでポルシェ908LH クーペをドライブし、2位表彰台を獲得。この時は優勝したフォード GT40のペドロ・ロドリゲスとルシアン・ビアンキに、わずか120メートル届かなかった。

 

ウィリー・カウセンとポルシェ917Lで参戦した1970年のル・マンでは、再び2位を獲得。同年のツール・ド・フランスでは、ヒッピーをイメージしたイエローとレッドの911S 2.4を駆って、2台のマトラ シムカMS650に続く3位でフィニッシュしている。

 

「ツール・ド・フランスで私がドライブした911Sは、工場から出荷されたなかでも一番軽かったはずです。たった789kgだったんですから!」と、ラルースは肩をすくめた。当時の911Sの公式重量は800kgだった。しかしラルースはメカニックに「1kgの軽量化を達成したら、1本のシャンパンを奢る」と提案し、この軽量化を実現したという。

 

917 KHで優勝した1971年のセブリング12時間

引退後、ルノーの監督を務めたラルースは、1987年に自身のチームを立ち上げてF1に参戦。1990年の日本GPでは、ラルースから参戦した鈴木亜久里が3位表彰台を獲得した。写真は917KHで優勝した1971年のセブリング12時間。

 

自身のチーム「ラルース」立ち上げてF1に参戦

 

ラルースはヴィック・エルフォードとも組んでレースを戦っている。1971年は917で走ったセブリング12時間レース、908/03スパイダーをドライブしたニュルブルクリンク1000kmレースを制覇。ポルシェ・ワークスにおいてラルースは「リヨンからやってきたジェントルマン(The gentleman from Lyon)」というニックネームで呼ばれ、真のオールラウンダーとしてリスペクトを受けている。

 

1973年と1974年はフランス人のアンリ・ペスカローロと共にマトラ シムカで念願のル・マン24時間レース優勝を果たしている。そしてドライバー引退後は、ルノー・レーシングチームの監督としてポルシェの前に立ちはだかった。

 

1987年には、弁護士のディディエ・カルメルと独立系F1チーム「チーム・ラルース・カルメル(Team Larrousse Calmels)」を結成。カルメルのチーム離脱後も、1991年までチーム・ラルースとしてグランプリを戦った。

 

ジェラール・ラルースとヴィック・エルフォード

2017年のツール・ド・コルス・ヒストリックには、ライバルであり盟友のヴィック・エルフォード(右)と共に911SC RSで参戦している。

 

ポルシェのアンバサダーとしてヒストリックイベントに参加

 

ラルースはモータースポーツの第一線から退いた後もポルシェとの密接な関わりを続けている。ポルシェのブランド・アンバサダーとして様々なヒストリックイベントにも登場。2017年には長年の友人であるエルフォードと共に911SC RSでツール・ド・コルス・ヒストリックにも参戦した。

 

引退後は南フランスのマルセイユに住み、自転車やゴルフを楽しみつつ自動車のイベントにも顔を出しているラルース。今もドライブへの情熱は少しも衰えていないようだ。