ポルシェとル・マン24時間の密接な関係。ヴォルフガング・ポルシェ博士の所蔵写真で振り返る50年

公開日 : 2020/06/17 17:55 最終更新日 : 2020/06/17 17:55


ポルシェの監査役会長を務めるヴォルフガング・ポルシェ博士

フェリー・ポルシェの息子が見た過酷な24時間レース

 

ポルシェとル・マン24時間レースは、常に密接な関係を持ち続けてきた。それはまるで“家族付き合い”と言ってもいいほどだ。そして、今からちょうど50年前、1970年のル・マンでポルシェは初優勝を果たした。ヴォルフガング・ポルシェ博士は、当時のことを昨日のことのように覚えているという。

 

ヴォルフガング・ポルシェ博士の部屋はまるでタイムカプセルのようだ。「経済の奇跡(Wirtschaftswunder)」時代のセンスの良い調度品が揃えられている。この時代はポルシェが家族経営の小さな会社から、世界的に有名なスポーツカーメーカーへと成長した奇跡的な戦後復興期。そして、ル・マンでの活躍は、当時からポルシェの“ショールーム”としての役割を果たしてきた。

 

自身のデスクで懐かしい写真を眺めるヴォルフガング・ポルシェ博士

フェリー・ポルシェの四男として生まれたヴォルフガング・ポルシェ博士。父の傍らで、ポルシェの歴史をつぶさに見てきた人物だ。

 

革張りのデスクに並べられた70年に渡る写真たち

 

ダークグリーンの革張りのデスクに、70年に渡るル・マンの写真たちが並べられた。ヴォルフガング・ポルシェ博士の目は、13歳の時に父親のフェリー・ポルシェと一緒にピットウォールに立つ自分の姿を見てキラキラと輝いていた。

 

「もちろん、私は父と一緒にル・マンを訪れるのが大好きでした。でも、毎回行くことは許されていなかったんです。レースはいつも学期の終わりに開催されていましたからね(笑)」

 

レース好きのポルシェ家でさえ、学校をサボることは決して許されなかった。結果的に家族全員でニュルブルクリンクへと赴き、夏休みに開催されることが多かったF1 ドイツGPを観戦するようになったという。

 

過去のル・マンの写真を見ることは、現在77歳のヴォルフガング・ポルシェ博士にとってタイムスリップのようなものだ。彼の人生の様々な時期を経て現在に至るまでを垣間見ることができる。

 

例えば2017年に撮影された写真からは、若いティーンエイジャーが1950年代からどれほど変化したかだけではなく、モータースポーツ界の変わり様も見せてくれる。

 

この写真には、サーキットのコントロールルームにいるヴォルフガング・ポルシェ博士の姿があった。21世紀の世界では、ストップウォッチと手書きのチャートを持ってピットウォールに座っている人はいない。その代わりに、エンジニアはモニター上の膨大なデータをふるいにかけ、24時間レースのための戦略を練っているのだ。

 

1970年のル・マンを走るポルシェ917

激しい雨に打ちつけられながら走行を続けるポルシェ917K。当時のポルシェにとって、ビッグメーカーと対峙することは並々ならぬことだったと、ヴォルフガング・ポルシェ博士は振り返る。

 

Porsche 917K

ポルシェ 917K

 

ル・マン最初の勝利達成の瞬間

 

「父はふたつの考えを持っていました。初の総合優勝は素晴らしいものであり、会社にとっても重要な成果だと考えたことはもちろんですが、比較的小さな会社の努力とそれに伴うリスクは当時としては莫大なものでした。この勝利は開発責任者であった従兄弟のフェルディナント・ピエヒのおかげでうまくいきました。父は、おそらく自分ひとりではリスクを冒すことはなかったでしょう」

 

「それにしても、あのコンディションで917Kをコントロールしたドライバーたちを、心から賞賛したことを覚えています」

 

このクラシックレースの比類なき魅力は、今も昔も変わらないという。

 

「私にとっては、その場にいるだけではなく、ポルシェ・チーム全体をサポートすることが重要なのです。技術的な問題が起こったとしても、それを解決した時の感激は格別ですからね」

 

トゥロシェのポルシェ・ワークショップ

ル・マン24時間に向けて、トゥロシェのワークショップで整備が続けられるポルシェのレーシングカー。近隣住民が気軽に立ち寄れる雰囲気が当時は残っていた。

 

1979年、トゥロシェでの思い出

 

ポルシェはル・マンで様々な悲劇や勝利を経験してきた。だが、サルテ川近郊にあるこのコースで、これだけの成功を収めたメーカーは他にない。トゥロシェのワークショップで撮影されたこの1枚の写真からは、ポルシェによる24時間レースへの強い情熱が伝わってくると言えるだろう。

 

「ポルシェ・チームは何十年もの間、ル・マンの近くにあるトゥロシェ(Teloche)のワークショップを利用していました。あの場所は家庭的な雰囲気があって、街の人たちとも友情が芽生えていました。近所の人たちがいつもマシンの作業風景を眺めていましたよ。今では考えられないことですよね」

 

父フェリーと観戦した1956年のル・マン

ピットエリアからストップウォッチを片手にレースを見守るフェリー・ポルシェ。当時はまだ総合優勝に手が届く存在ではなかった。

 

ピットウォールで大興奮のフェリー・ポルシェ

 

「父は右に写っているファクトリーディレクターのハンス・クラウザーと一緒にレースに向かうと、いつも興奮していました。この写真に写る彼らの様子を見ているだけで、ハッピーな気持ちになりますね」

 

1951年に2台のポルシェ 356が初めて参戦して以来、ファクトリーチームやプライベーターチームによるポルシェ製レーシングカーが登場しないシーズンはない。それこそ、ル・マンが「ポルシェのリビングルーム」と呼ばれている所以である。

 

母ドロシア・ポルシェが訪れた1970年のル・マン

ヴォルフガング・ポルシェ博士の母であるドロシアは、サルテ・サーキットを訪れることは滅多になかった。しかし、初優勝を果たした1970年のル・マンに立ち会う幸運を得ている。

 

母ドロシアと訪れた1970年のル・マン

 

この写真の中で、ヴォルフガング・ポルシェ博士は、父フェリーと会話する母ドロテアを、横目で見ている。ドロシアがル・マンを訪れることは滅多になかったが、この年はハンス・ヘルマンとリチャード・アトウッドが917でポルシェ初の総合優勝を達成した年だった。

 

「この勝利は “驚異的なマイルストーン “になりました。ポルシェという小さなメーカーが、ビッグネームにも勝てることを初めて証明したのです。国際舞台で躍進するきっかけとなりました」

 

1985年のデレック・ベルとハンス=ヨアヒム・スタック

1970年から1980年代のル・マンには、多くの個性的なドライバーが参戦した。特にハンス=ヨアヒム・スタック(左)は、今でも親交が続いている。そして、レースのDNAは、ポルシェの根幹を成すものだとヴォルフガング・ポルシェ博士は指摘した。

 

ポルシェに根付く、レースのDNA

 

初優勝から半世紀の間に、ポルシェは18回の総合優勝を達成した。特に1976年のル・マンはヴォルフガング・ポルシェ博士にとって特別な一戦となった。ポルシェ 936は初のターボチャージャー搭載車としてル・マンを制したのだ。当時はオイルショックにより、一部の国では自動車レースを禁止するかの議論が過熱していたため、この勝利はより価値のあるものとなった。

 

「ターボエンジンは燃費が良く、優れたエンジンであることをレースで証明しました。それが市販モデル(930ターボ)の成功に不可欠だったのです」

 

「1970年代から1980年代は、本当に“ワイルド”な時期でした。すべてのドライバーととても良い関係を築くことができました。ジャッキー・イクス、デレク・ベル、ヨッヘン・マス、そしてもちろんハンス=ヨアヒム・スタック・・・。今でも彼は何をやっても上手いですし、あの陽気な性格は周囲に伝染するのです」

 

大逆転劇となった2016年のル・マン

2016年、レース残り3分の段階までリードしていたトヨタが、フィニッシュラインを越えたところでパワーユニットのトラブルによりストップ。ポルシェは劇的な勝利を手にした。

 

Porsche 919 Hybrid

ポルシェ 919 ハイブリッド

 

史上最も劇的な幕切れとなった2016年

 

2016年のル・マンは劇的なレース展開となった。フィニッシュ直前、勝利を確信していたトヨタTS050 HYBRID 5号車にトラブルが発生、残り3分でポルシェ919ハイブリッド 2号車が逆転したのだ。

 

「これ以上劇的な結末はないでしょう。トップを走行していたトヨタは、フィニッシュラインを越えた時点でストップしてしまいました。つまり、最後の数メートルで我々が勝ったのです。私はトヨタのピットエリアに行って、彼らの健闘を讃えました。対戦相手へのリスペクトは絶対失ってはいけません。公平さこそが、レースがスポーツである理由なのです」

 

そして2017年は、24時間レースならではの感情のアップダウンを経験した。919ハイブリッド 2号車に搭載されたフロントアクスルの電動モーターを交換するのに、1時間以上もかかったのだ。「あれはクルマ全体を分解して、元に戻したような感覚でしたね」と、ヴォルフガング・ポルシェ博士は振り返った。

 

スタート5時間の段階でのトラブルであり、絶望的な遅れかと思われた。しかし、ティモ・ベルンハルト、アール・バンバー、ブレンドン・ハートレーは信じられないような逆転劇を披露する。

 

「フィニッシュまで数時間の段階で、トップを走っていた919ハイブリッド 1号車が脱落し、2台のトヨタも同じようにトラブルに見舞われたのです。改めてライバルたちに同情すると同時に、不可能と思われていた勝利に喜びを感じました。決して諦めないこと、それがポルシェのマインドセットです。フィニッシュラインを越えるまでレースは終わらないのですから」

 

2013年のル・マンにて、911 RSR

2017年シーズンを最後に919 ハイブリッドによるル・マン参戦を終了したポルシェ。そこにファクトリーチームの姿がなくとも、“ポルシェ・ファミリー”を応援するためにヴォルフガング・ポルシェ博士はル・マンの地を訪れている。

 

Porsche 911 RSR

ポルシェ 911 RSR

 

ル・マンに集うポルシェの家族たち

 

貴重な瞬間を見逃したくないから、そして純粋な応援のために・・・。ポルシェのLMP1時代が終わりを告げたにも関わらず、ヴォルフガング・ポルシェ博士はスケジュールが許す限り今もル・マンを訪れている。

 

「最新のGTマシンのパフォーマンスには興奮しています。カスタマーチームの皆さんが乗っているのですから、私にとっても大きな関心事です。ポルシェにとって、お客様ほど大切なものはありませんからね」

 

そう、ル・マン24時間レースは家族ぐるみの付き合いの場であり、すべてのカスタマーが家族の一員なのだ。