85年前のル・マンを戦った女性ドライバー。レース界でジェンダーの壁と戦ったパイオニアの足跡を追う

公開日 : 2020/10/15 17:55 最終更新日 : 2020/10/15 17:55


バーバラ・スキナーのイメージ

SUキャブレター創業家の令嬢として

 

世界一過酷な耐久レース、ル・マン24時間。いまから85年前、その熾烈な争いに挑んだある女性がいる。バーバラ・スキナー。キャブレターメーカーとしてあまりにも有名なスキナーズ・ユニオン創業者の令嬢である。

 

ジョージ・ハーバート・スキナー(愛称バート)、そして弟のトーマス・カーライル・スキナー(愛称カール)が最初にキャブレターを開発したのは1904年のこと。それから6年後の1910年、ふたりはその「SUキャブレター」を扱う会社、スキナーズ・ユニオンを立ち上げた。

 

バーバラ・スキナーとピーター・スキナーのイメージ

カールが授かった天使たち。バーバラとピーターはモータースポーツ愛を育みながら成長した。

 

根っからのドライバー気質

 

カールは1911年に長女のバーバラを、1914年には長男のピーターを授かった。一男一女はのちに熱心なモータースポーツファンとなり、おのおのが自らの力でレーシングドライバーになっている。とりわけバーバラは女性ながらも根っからドライバー気質を携えており、才能にも恵まれていた。

 

しかし当時のレース社会は男性に牛耳られていて、女性ドライバーに居場所はなかった。

 

バーバラ・スキナーのイメージ

1930年に撮影されたバーバラ・スキナー。彼女は当時女性が閉め出されていたレースの世界へ、果敢に挑んでいった。

 

21歳の誕生日プレゼントはスペシャルマシン

 

1900年代初頭、BARC(British Automobile Racing Club)は騎手に女性が居ないことを理由に、女性ドライバーへの門戸を閉ざしていた。

 

その理不尽なルールは、1928年に「女性のみ」という条件つきでようやく緩和。ついに男性ドライバーと対等に競うことをBARCが認めたのは1932年のことだった。

 

バーバラ・スキナーのヒルクライムレースイメージ

ヒルクラムレースに挑むバーバラ・スキナー。彼女はラリーからサーキット、スプリントから耐久まで多彩なレースで輝かしい記録を残した。

 

初陣のヒルクライムで記録を樹立

 

その1932年4月6日、カールは21歳の誕生日を迎えたバーバラに自身のモーリス カウリー スペシャルを贈った。登録ナンバー「YF 15」を装着したそのクルマは、SUキャブレターの開発用車両として活躍したのちに、カールの個人所有車としてスペシャル仕様に仕立てあげられていた。心臓部にはロードレース用マシンであったMG 18/100 タイグレスのエンジンを搭載。速さと扱いやすさを兼備したそのマシンは、日常からサーキットまで、バーバラの日々の相棒になった。

 

同年9月3日、バーバラはそのマシンを駆ってシェルズリー ウォルシュのヒルクライムに参戦。レディースカップでその日の最速タイムとなる56.6秒を叩き出している。バーバラの輝かしいレースキャリアが幕を開けた瞬間だった。

 

シェルズリーのヒルクライムで戦うバーバラ・スキナーイメージ

シェルズリーのヒルクライムで戦うバーバラ・スキナーとそのクルーたち。

 

ナッフィールド卿からの粋な計らい

 

いささか競争力に欠けるようになっていった「YF 15」は、1932年でレース活動からは引退したが、バーバラの側を離れることはなかった。彼女の新しいマシン、白のモーリス マイナーの牽引役にも従事している。

 

新戦力となったモーリス マイナーのシャシーは、モーリス・モーター・カンパニーを創業したナッフィールド卿からスキナー一家へ永久貸与されたものであったという。「レースのときはMiss. B スキナー」としてこのマシンを駆る、バーバラの結婚祝いという名目で。

 

Burlen社が所蔵するスキナー スペシャル

いまもBurlen社が所蔵するスキナー スペシャル。同社はSUキャブレターをはじめ、AmalやZenithのキャブレターも取り扱っている。

 

ラリーからブルックランズ サーキットまで

 

バーバラは現役中にいくつもの賞を獲得した。シェルズリー ウォルシュではしばしば最速タイムを記録。1934年には46.6秒で女性記録を更新、1938年にも赤い車体のスキナー スペシャルでそれに匹敵するタイムを刻んでいる。ちなみにその赤いスキナー スペシャルは、SUキャブレターの製造・販売権を引き継いだBurlen社がいまも所蔵している。

 

1933年にはRAC ラリーへモーリスで参戦し、総合30位でフィニッシュ。また、1930年代のブルックランズでは多くの女性ドライバーが活躍し、「Brooklands Belles(ブルックランズの美人たち)」として広く知られているが、もちろんバーバラもそのひとりである。

 

ル・マンへ参戦したバーバラ・スキナーのイメージ

1935年のル・マンへ挑んだバーバラ・スキナーの駆ったMG PA ミジェット。コドライバーをドリーン・エヴァンスが務めた。

 

ル・マン24時間を25位でフィニッシュ

 

そして1935年、バーバラはMG PA ミジェットでル・マン24時間耐久レースに挑む。MGワークスとして参戦した彼女は、コドライバーのドリーン・エヴァンスとともに25位でフィニッシュ。153ラップ、総走行距離2068kmを走りきり、平均速度86.1km/hという記録を残している。

 

バーバラはレーサー兼自動車ライターのジョン・ボルスターと結婚したのちも、結婚後の名前でレースを続けた。しかし、1942年に悲劇が襲う。交通事故がバーバラの命を奪い去ったのである。

 

MGのワークスとしてル・マン24時間へ参戦したバーバラ・スキナーのイメージ

バーバラのドライバーとしての素質はもちろん、「男性の壁」にひるまなかった彼女の生き様は、現代の我々にも強いメッセージを投げかける。

 

「男性のスポーツ」に挑んだ1人のアスリート

 

Burlen社の常務、マーク・バーネットは語る。

 

「Burlenは、モータースポーツと長く関わってきました。そして我々社員の全員が、バーバラのレースに触発されてきたのです。その恵まれた才能はもちろんのことですが、なによりも、女性が男性ドライバーによって追いやられていた時代に、果敢にそのスポーツへ挑んでいったというそのことに」

 

「彼女は多くの障壁を乗り越えてきました。そうして、ラリーやブルックランズ、ヒルクライム、スプリントから耐久まで、あらゆるレースで活躍してきた。バーバラはモータースポーツ界に平等の価値観を持ち込んだパイオニアのひとりとして、記憶されるべき人物です」