30周年を迎えた伝説のスーパーカー、ブガッティEB110。ロマーノ・アルティオーリの「熱狂の8年」を振り返る

公開日 : 2021/04/14 11:55 最終更新日 : 2021/04/15 13:07

ブガッティEB110

ブガッティを眠りから醒ましたイタリア人

 

1980年半ば、当時休眠中だったブガッティの復興を目指したひとりの男がいた。ロマーノ・アルティオーリ。イタリア人の実業家にして、こよなくレースを愛した彼は、見果てぬ夢を叶えるために1台のスーパーカーをこの世に産み落としている。

 

現在ブガッティのトップを務めるステファン・ヴィンケルマンは次のように語る。

 

「ロマーノ・アルティオーリは我々のブランドの歴史の一部です。ブガッティがこの世界に蘇ることができたのは、彼の決断力と粘り強さのおかげといえるでしょう。そのエネルギーと熱意、ブガッティに捧げる圧倒的な情熱により、ブガッティは21世紀に続くブランドとして命を繋いでいるのです」

 

1987年にブガッティを蘇らせたロマーノ・アルティオーリ

1987年にブガッティを蘇らせたロマーノ・アルティオーリ。現在88歳の彼は、リヨンにあるオフィスと、家族の住むトリエステを往復する日々を送っている。

 

“天駆けるマントヴァ人”と故郷を共有

 

アルティオーリのクルマ愛は、自身のバックグラウンドと大きく関係している。彼が生まれたのは北イタリアのマントヴァ近郊。ルネサンスの中心となった芸術の街として有名だが、自動車愛好家にとってはタツィオ・ヌヴォラーリの故郷というほうが通りが良いかもしれない。

 

幼少の頃からレーサーとレーシングマシンにすっかり魅了されていたアルティオーリは、12歳になると自動車ライセンスに関する本を読みあさったという。『クラシック ドライバー』誌の取材に応じた彼は「その後、私は自分の人生をクルマとエンジンに捧げようとはっきり考えるようになりました」と答えている。イタリア最北端、オーストリアとの国境近くの街ボルツァーノで機械工学を学んだアルティオーリは、戦争が終わるとクルマの修復を手掛け始めた。

 

1987年にブガッティを蘇らせたロマーノ・アルティオーリとEB110の透視図

EB110の透視図を手にするロマーノ・アルティオーリ。EB110は間違いなく歴史上に刻まれるべき傑作モデルの1台。

 

フェラーリとスズキの販売で成功者に

 

1952年、20歳になったアルティオーリはブガッティが生産終了するとの報を耳にして大きなショックを受ける。あれだけの品質とデザイン、独創性と技術力をもったブランドは、いつの日か蘇らなければいけない。彼は誓った。「もしもブガッティのこの状況に誰も行動を起こさないのなら、いつかブランドを取り戻すその日まで、僕が粘り強く取り組み続けよう」と。

 

GMやスズキのインポーターを営みながら、来るべき日のために準備を進めたアルティオーリ。いつしか、彼の会社はイタリア最大の日本車インポーターとして、かつ最大のフェラーリ販売店として知られるようになっていった。商売の傍らで収集したプライベートコレクションに、ブガッティのヒストリックモデルが多数含まれていたのは当然の流れといえるだろう。

 

かつてブガッティ アウトモビリS.p.A.が拠点としていたカンポガッリアーノ

かつてブガッティ アウトモビリS.p.A.が拠点としていたカンポガッリアーノ。ブガッティのエンブレムが描かれたブガッティ・ブルーの外壁に、ホワイトにペイントされた大型換気パイプを備えた開発部門のファクトリーは象徴的な存在。

 

モデナ近郊にブガッティを再興

 

1980年代半ばまでに、アルティオーリはフランス政府に対してブガッティブランドの売却に関する交渉を行っている。2年間に及ぶ交渉は決して公にされることなく、秘密裏に進められた。

 

そして1987年、彼はブガッティ アウトモビリ S.p.A.を創業し、会長職に就く。当初、アルティオーリはフランスのモルスハイムに会社を置こうとした。現在88歳になった彼は言う。「モルスハイムはイタリアのマラネロ、英国のヘセルに並ぶ土地です。ブガッティにとってのメッカともいえる場所ですが、しかし、当時そこには生産拠点もなければエンジニアもいませんでした」。アルティオーリは支援者を募り、モルスタイムと繋がる新たな拠点を探した。見つかったのが、モデナ近郊のカンポガッリアーノである。

 

かつてブガッティ アウトモビリS.p.A.が拠点としていたカンポガッリアーノ

蘇ったブガッティのために、明るく開放的な生産ホールや、日の光に合わせて自動調整されるブラインドを備えた研究開発棟など、先進的かつ独創的な拠点が作られた。

 

前衛的でモダンな一大拠点を築く

 

フェラーリ、マセラティ、デ・トマソ、ランボルギーニ。錚々たるメーカーが軒を連ねるその土地に、24万平方メートルの敷地を誇る“新しいブガッティの拠点”が誕生する。本社機能はもとより、デザインスタジオやエンジン設計、試験開発に生産部門、テストコース、豪華なレストラン、展示スペースといったあらゆる設備をここに集結。著名な建築家にして、アルティオーリの従姉妹でもあるジャンパオロ・ベネディーニの手により、モダンで前衛的な拠点が形づくられた。

 

ベネディーニは暗く味気ない工場倉庫の代わりに、自然光あふれる開放的な生産用ホールを設計。従業員が快適に作業に没頭できるよう、エアコンも完備した。ブガッティの伝統を当時最先端の拠点という形で蘇らせたベネディーニは、次世代のスーパースポーツカーとなる革新的モデルの初期デザインにもモディファイを加えている。

 

1987年にブガッティを蘇らせたロマーノ・アルティオーリが当時を振り返る

近代的なファクトリーで生み出されたのは、4基のターボチャージャーを備えたV12を搭載するスーパースポーツ「EB110」。当時世界最速の称号を獲得した。

 

クアッドターボを搭載した世界最速のスーパースポーツ

 

「EB110により、我々はパフォーマンスと品質の可能性をさらに押し広げようと考えたのです。エットーレ・ブガッティその人のために。生産能力そのものよりも、品質と革新性に一切の妥協を許さないことこそが重要でした」とアルティオーリは述懐する。彼は計画を行動に移すべく、地元のトップエンジニアやデザイナーに協力を仰いだ。

 

白紙から生み出されたEB110は、世界で一番速い、最高のスーパースポーツカーとなった。量産自動車初のカーボン製シャシーを採用し、4基のターボチャージャーを備えた3.5リッターエンジンを搭載。1シリンダーあたり5バルブを備えたV12ユニットは550psを発生し、最高速度は351km/h超に達した。類例を見ない2シーターの4輪駆動マシンは、のちにいくつもの記録を打ち破るレコードブレーカーとして名を馳せることになった。

 

1991年9月15日にプレミアされたEB110

1991年9月15日にプレミアされたEB110。パリの発表イベントは観衆の熱狂に包まれていた。

 

アラン・ドロンが登場した世紀のプレミア

 

エットーレ・ブガッティの生誕110周年を迎えた1991年。彼の誕生日にあたる9月15日にアルティオーリはパリでEB110を発表した。そのプレミアには、5000人を超える報道陣や自動車業界人が世界中から集まり、数え切れないほどの観衆も押し寄せた。数百もの警備員がガードを張り巡らせたラ・デファンス広場は、まさしく熱狂の渦。アルティオーリの妻レナータを助手席に乗せたアラン・ドロンがシャンゼリゼ通りを走る姿に、居合わせたファンは大歓声をあげたという。

 

EB110の顧客のひとりに、ミハエル・シューマッハがいる。「ミハエルはカンポガッリアーノへやってきて、黄色のスーパースポーツにブルーのインテリアを組み合わせた1台を購入しました。値引きについて口にすることはありませんでしたよ──彼はまごうことなきファンのひとりだったんです」とアルティオーリは振り返る。EB110はテーラーメイドのスーツよろしく、1台1台を自分の好み通りに仕上げることができた。

 

1991年9月15日にプレミアされたEB110

4基のターボチャージャー、4WD、そしてカーボンモノコック。現在のヴェイロンやシロンに共通するスペックを30年前に導入していたEB110。1995年の会社破綻により、わずか128台のみの販売となった。

 

39年間見続けた夢の終焉

 

しかし、時代は移ろう。EB110に熱狂の声があがる一方で、世界の空には財政危機の暗雲が立ちこめていた。アメリカは湾岸戦争の影響に苦しみ、円高は加速、イタリア経済は停滞。マーケットは縮小し、ブガッティの売り上げは下降した。加えて、アルティオーリはGMからのロータス買収で負債を抱え、そこにサプライヤーからの部品供給が滞るという問題も追い打ちをかけた。

 

39年にわたり夢を見続け、猛然と突き進んできたアルティオーリのブガッティ・プロジェクトは終わりを迎える。1995年9月23日、およそ128台の車両を生産したブガッティ アウトモビリ S.p.A.は破産を申請。最後の1日まで、アルティオーリは220人の従業員に給料を支払い続けたという。

 

1987年にブガッティを蘇らせたロマーノ・アルティオーリ

ブガッティの復活を39年間夢見続け、自身でそれを実現してみせたロマーノ・アルティオーリ。イタリアでブガッティを作った彼は、誰よりもモルスハイムで作られたブガッティを愛しているに違いない。

 

完成間近だったEB112は幻に

 

「従業員は皆ブガッティのスピリットを理解していました。彼らこそがEB110を特別なものにしてくれた。すべてを失うのはとてもショックなことでした。我々全員にとって、ひどい1日でしたよ」とアルティオーリは説明する。そして完成間近だったスーパーサルーン、EB112は幻となった。「6.0リッターV12エンジンをフロントアクスルの後ろに搭載した、運転する歓びに溢れた素晴らしいクルマでした。シャシーはカーボンファイバー製で、サスペンションは軽量。まるでゴーカートみたいに運転できたんですよ」 とアルティオーリは懐かしむ。

 

1995年に再び眠りについたブガッティだが、レジェンドに長い休みは許されない。1998年、ブガッティはフランス・モルスハイムの地で新たな一歩を踏み出した。エットーレ・ブガッティが自身の名を刻んだクルマを初めて作ったその場所で。