カンポガッリアーノ時代のブガッティが生んだ1台のファクトリーマシン。EB110 SCが「帰るべき場所」とは

公開日 : 2021/06/17 06:55 最終更新日 : 2021/06/17 06:55

ブガッティ EB110 SCのフロントビュー

Bugatti EB110 SC

ブガッティ EB110 SC

 

 

たった2台の戦うブガッティ

 

ちょうどいまから四半世紀前、フランスのとあるサーキットのグリッドに、世にも稀なブガッティが佇んでいた。EB110 SC。公式にはたった2台しか作られなかったというEB110のレースカーの片割れである。もう1台はブルーの車体でお馴染みの、ル・マンに出場したEB110 LMだ。

 

1996年6月9日、初夏のディジョン・プレノワ サーキットでは2時間レースがスタートしようとしていた。ウワン、ワン、ワン! ゼッケンナンバー「18」を装着したEB110 SCのエンジンはレブリミットまで何度も何度も吹け上がり、ブルゴーニュの空に轟音をこだまさせる。信号がブルーに変わるとEB110 SCは猛然と地面を蹴り上げ、全速力で走り去っていった。スタートラインをあっという間に置き去りにして。

 

EB110 SCのステアリングを握っていたのはモナコのビジネスマン、ギルド・パランカ-パストール。最年少エントラントの一人である29歳の彼は、モナコ・レーシングチームのオーナーとして、そしてレースカードライバーとしてディジョンにやってきていた。そして彼が駆るクルマは並み居るライバルの中でもとりわけ特別な一台であった。

 

ブガッティ EB110の2台のファクトリーマシン。EB110 LMとEB110 SC

ブガッティ EB110のファクトリーマシンは、公式には2台のみが作られたと言われている。写真左がル・マンに挑戦したEB110 LM、右がEB110 SC。

 

カンポガッリアーノが生んだEB110

 

1963年に一度歴史の幕をおろしたブガッティは、ロマーノ・アルティオーリによって再び息を吹き返した。1987年、ブガッティの商標権を獲得してブガッティ オートモビル S.p.A.の会長に就任。1990年9月15日にはカンポガッリアーノに革新的かつ先進的なファクトリーをオープンした。

 

そして1991年9月15日。エットーレ・ブガッティの生誕110周年を記念するその節目に、アルティオーリは最先端のスーパースポーツカー「EB110」をお披露目した。4基のターボチャージャーを備えた3.5リッターV12エンジンを搭載し、4WDシステムと軽量なカーボン製モノコックを携えたクーペは、世間に一大センセーションを巻き起こした。エンジンの最高出力はじつに610psを記録し、最高速度は351km/hに到達。量産スポーツカー最速の称号を獲得した。

 

しかし、アルティオーリはもっと上を見つめていた。彼が望んでいたのは、ブガッティを再びサーキットに連れ戻すことだった。「ブガッティのようなブランドにとって、モータースポーツは非常に重要であると我々は考えていました」とアルティオーリはかつて語ったことがある。

 

カンポガッリアーノのファクトリー

かつてブガッティ アウトモビリS.p.A.が拠点としていたカンポガッリアーノ。ブガッティのエンブレムが描かれたブガッティ・ブルーの外壁に、ホワイトにペイントされた大型換気パイプを備えた開発部門のファクトリーは象徴的な存在だ。

 

EB110の性能に目をつけた男

 

EB110 GTとEB110 SS(Super Sport)に加えて、ファクトリーマシンとして製作されたEB110は、公式にはたった2台と言われている。最高出力は700psまで引き上げられていた。最初の1台、EB110 LMは1994年のル・マンへ出場。そのマシンに目を留めたのがギルド・パランカ-パストールだった。

 

1995年3月、ギルド・パランカ-パストールは量産ベースのEB110 SSを駆って氷上スピード記録を樹立した。しかし、彼が本当に関心を寄せていたのは公式レースへの参戦。その証に、アメリカのIMSAをはじめとした耐久レースに挑戦すべく、1994年の終わりにはブガッティへレースカーをオーダーしていたのである。

 

ブガッティ EB110 SCのコクピット

戦うために作られたブガッティ EB110 SC。ステアリングを握ったのはモナコのビジネスマンとしての顔と、レーシングドライバーとしての顔をもつギルド・パランカ-パストールだった。

 

ひたひたと近づく時代の暗雲

 

EB110 SC(Sport Competizione)の開発期間は6ヵ月。軽量化を施したマシンは素晴らしいスピードを獲得していた。当初は3台を製造する計画だったが、財政危機やサプライヤーがらみの問題で、1995年6月までに完成したのは結局1台のみであったという。

 

ギルド・パランカ-パストールはこのマシンを武器に、IMSAとBPRグローバル GTシリーズに参戦。後者は最高峰の量産スーパースポーツカーの戦いの場として用意された国際的なレースシリーズだった。

 

EB110 SCのパフォーマンスは申し分のないものだったそうだ。しかし、補給パーツの入手が足かせとなった。その頃、スーパースポーツカーのマーケットは崩壊状態に陥っていた。需要が頭打ちとなったブガッティも財政危機に瀕しており、サプライヤーは部品供給に二の足を踏んでいたのだ。

 

サプライヤーとの問題を抱え、支払い能力が限界に達したブガッティは、1995年9月15日に生産工場を閉鎖。整備のために入庫されていたレースカーは、一時的に没収されることとなった。

 

ブガッティ EB110 SCのエンジンコンパートメント

ブガッティ EB110 SCのエンジンコンパートメント。4基のターボチャージャーを備えたV12エンジンは、最高出力が700psまで高められていた。

 

ブガッティのファクトリーマシンが挑んだ最後のレース

 

しかしながら、ギルド・パランカ-パストールは差し押さえられたEB110 SCを助け出すことに成功した。彼はそのマシンを使って1995年1月のデイトナに参戦し、同年のル・マン24時間レースに向けて準備を開始した。その“助走”のひとつとして出場を決めたのが、6月8日〜9日にフランス・ディジョンで開催された2時間レースだったのである。

 

EB110 SCは予選で4位を獲得。ギルド・パランカ-パストール自身もパフォーマンスに満足していた。ところが、本選のスタートから2周目でEB110 SCは他車とクラッシュ。フィニッシュラインを越えることができないままレースを終えることとなった。ル・マンは1週間後に控えていたが、メカニックの面々は修理用パーツを入手することができず、ついにEB110 SCは戦いの場から身を引かざるを得なかった。

 

ブガッティ EB110 SCの正面ビュー

25年ぶりにディジョン・プルノワに帰ってきたEB110 SC。写真撮影のためにデモランを実施したEB110 SCは、V12サウンドを高らかに響かせた。

 

ギルド・パランカ-パストールは、レースから数年後にブガッティ愛好家にそのマシンを売却している。そうしてブガッティ最後のファクトリーマシンとなったEB110 SCは、いまも良好なコンディションを保ったまま現存する。戦いの舞台に姿を現すことは二度となかったものの、所有者の手によって保護され、適切なメンテナンスを受け続けることができたのだ。

 

そして2021年6月、最後のレースから25年の節目にEB110 SCはディジョン・プルノワに帰ってきた。世界に1台きりのEB110 SCが、写真撮影のためにデモランを実施したのである。かつてのライバル達の伴奏は聞こえずとも、V12エンジンのサウンドは当時のまま、どこまでも高らかにブルゴーニュの空へ響き渡った。まるで「ただいま」とでも言っているかのように。

 

 

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