【ランボルギーニ ヒストリー】フェルッチオが愛した2+2グランドツーリング

ホイールベースが極端に短い2+2 GT「ハラマ」とは?(1970-1972)【ランボルギーニ ヒストリー】

【ランボルギーニ ヒストリー】フェルッチオが愛した2+2グランドツーリング
ランボルギーニがこだわった2+2シーターGT。イスレロの後継モデルであるハラマを解説する。
実用性を兼ね備えた4シーターGTは、創業者であるフェルッチオ・ランボルギーニがこだわった部分だ。すでにイスレロやエスパーダを市場に投入していたランボルギーニは、イスレロの後継モデルとして「ハラマ」をリリースした。

Lamborghini Jarama

イスレロの後継車としてデビューした2+2GT

2+2GTに高いコーナリング性能も求めて2380mmという短いホイールベースに設定されたハラマ。それゆえに独特のプロポーションをもつ。

イスレロの後継車として、1970年のジュネーブ・ショーで正式に発表されたのが「ハラマ」だ。この段階ですでにランボルギーニには、ミウラ、エスパーダというモデルが存在し、それらはいずれも市場では高い評価を得ていたから、2+2GTのイスレロをフルモデルチェンジすることでラインナップは一新され、セールスはより好調になると考えられた。

すでにこの頃、ランボルギーニの設立時から長くチーフエンジニアの職にあったジャン・パオロ・ダラーラは、ランボルギーニでは自身の夢であるモータースポーツへの参戦は叶わないと判断し、デ・トマソへ移籍。新たにパオロ・スタンツァーニがチーフとしてハラマの開発を進めることになった。スタンツァーニはその後も、カウンタックやウラッコなど、さまざまなモデルを独特な設計によって完成させているが、同時にゼネラル・マネージャーとして、ランボルギーニという会社の経営そのものにも関係するまでに至った人物である。彼の才能と情熱なくしては、ランボルギーニは現在まで存続することはできなかったと言ってもよい。

コーナリングをも得意とするGT

イスレロよりもワイド&ローに仕上げられたデザインはベルトーネによるもの。見る角度によって印象が変わるのも特徴だろう。

スタンツァーニがハラマでまず行ったのは、ミウラやエスパーダと同様に、セミモノコック構造を導入することだった。強固なボックスセクションをセンターに、そしてここから前後にサブフレームを接合して、エンジンやサスペンションなどを搭載。

ホイールベースは2380mmと極端に短く、これで2+2のシートレイアウトを実現するのは限界ともいえる数字だった。スタンツァーニはこのショートホイールベースで、ハラマにGTとしての性格のみならず、コーナリングをも得意とする楽しさを与えようと試みた。

ベルトーネらしい直線を基調としたデザイン

2+2GTの優雅さに加え、スポーツカーらしい俊敏性を併せ持つハラマ。スタンツァーニの狙い通りの走行性を実現した。

直線を基調としたボディデザインは、エスパーダと同様にカロッツェリア・ベルトーネに委ねられることになった。リトラクタブルヘッドランプを備え、端正にまとめられたそのシルエットは、同じ直線基調でもイスレロのそれとは異なる魅力を感じさせる。

ルーフの後端は上方に向かって曲面を描き、それによってスポイラーの効果を得ているのも特徴だろう。短いフロントノーズにV型12気筒エンジンを搭載しているものの、デザイン上では、そう感じさせないのも印象的だ。実際のボディサイズは全長4485×全幅1820×全高1190mm。これはイスレロと比較すると、さらにワイド&ローの傾向を強めた数字である。

フェルッチオ・ランボルギーニも絶賛

インテリアも高級GTに相応しい作り込みがなされる。現代の目で見てもシンプルかつスポーティだ。

エンジンは4.0リッターV型12気筒で、最高出力は350PSを誇る。トランスミッションやデファレンシャル、サスペンション、ブレーキなどの構成は、エスパーダのそれに等しい。ハラマの走りは、スタンツァーニの狙いどおりに、GTの優雅さとともに、サーキット走行をも十分に楽しめる軽快さを兼ね備えたものだった。

ちなみにフェルッチオ・ランボルギーニも、後に最も魅力的なモデルとしてミウラやカウンタックといったランボルギーニの象徴ともいえるミッドシップのスーパースポーツではなく、このハラマの名前をあげたという。

365PSを誇る「ハラマ S」を用意するも……

ボンネット中央にエアインテークをもつのが「ハラマ S」。V12エンジンに改良を施したことで、15PS向上の365PSを発揮した。

1972年には、さらにハラマの進化型として「ハラマ S」が発表される。搭載されるV型12気筒エンジンは、排気量はそのままに、ヘッド周りを改良したほか、カムシャフトやウェーバーキャブレターのセッティングを見直すことで、365PSへとパワーアップ。さらに冷却性能を向上させるためにエンジンフードの中央に、新たなエアインテークを設けるなど、さまざまな対応策が施された。

装備面ではエアコンの選択が可能になったことも大きな話題。ホイールベースが極端に短いハラマでは、キャビンとエンジンの位置関係はかなり接近したものになるから、走行中の暑さを解消することはカスタマーからの大きな要望だったのだ。ほかには3速AT仕様の設定や、ベンチレーテッド ディスクブレーキの装備も行われた。

ハラマの生産は1978年まで続くが、トータルの生産台数は327台に過ぎなかった。カスタマーの目は、やはり華のあるミウラやカウンタックに奪われていた、ということなのだろうか……。

SPECIFICATIONS

ランボルギーニ ハラマ

発表:1970年
エンジン:60度V型12気筒DOHC
総排気量:3939cc
圧縮比:10.7
最高出力:257kW(350PS)/7500rpm
トランスミッション:5速MT
駆動方式:RWD
車両重量:1450kg
最高速度:260km/h

ランボルギーニ ハラマ S

発表:1972年
エンジン:60度V型12気筒DOHC
総排気量:3939cc
圧縮比:10.7
最高出力:268kW(365PS)/7500rpm
トランスミッション:5速MT
駆動方式:RWD
車両重量:1460kg
最高速度:260km/h

解説/山崎元裕(Motohiro YAMAZAKI)

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著者プロフィール

山崎元裕 近影

山崎元裕

中学生の時にスーパーカーブームの洗礼を受け、青山学院大学在学中から独自の取材活動を開始。その後、フ…