可能性を見せつつ、わずか2年間でWRCを去った新世代MINI

MINI45年ぶりのモンテカルロ勝利は叶わず、悲劇のマシン「MINI ジョン・クーパー・ワークスWRC」【ラリー名車列伝 SS2】

たった2年でプログラムにピリオドが打たれてしまった悲劇のマシン「MINIジョン・クーパー・ワークスWRC」。
WRCデビュー戦となった2011年のサルディニアのグラベルステージを疾走する、MINIジョン・クーパー・ワークスWRC。
2022年11月10〜13日、愛知県と岐阜県を舞台に、世界ラリー選手権(WRC)最終戦ラリージャパンが開催される。日本におけるWRC実施は2010年以来、実に12年ぶり。今シーズンから導入されたハイブリッドパワートレインを搭載する「ラリー1」が、日本のターマックステージを疾走することになる。そのラリージャパンスタートまで約2ヵ月、WRCの歴史において忘れることのできない名車を紹介する短期連載。第2回は初代ミニ・クーパーの再現を狙いながら、道半ばで去った「MINIジョン・クーパー・ワークスWRC」を紹介しよう。

Mini John Cooper Works WRC

BMWの後推しを期待したプロドライブ

スバルとタッグを組み、WRCで数々のタイトルを獲得してきたプロドライブ。スバルが去った後、協力相手としてBMWへのアプローチを進めた。
スバルとタッグを組み、WRCで数々のタイトルを獲得してきたプロドライブ。スバルが去った後、協力相手としてBMWへのアプローチを進めた。

1990年から2008年にかけて、スバルのWRC活動を担ってきた英国の独立系コンストラクター「プロドライブ(Prodrive)」。しかし、2008年を最後にスバルはWRCからの撤退を決定。アストンマーティンでのサーキット活動はあったものの、プロドライブはラリーにおける新たなパートナーを探す必要に迫られていた。

そこで白羽の矢が立てられたのが、BMWが保有するブランド「MINI」だった。WRCがスタートする以前の1960年代、BMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)がラリーへと送り込んだミニ・クーパーは、車両の軽さとFFによるトラクション性能の高さで、ポルシェやランチアといったパワーに勝るライバルを蹴散らし、1964年、1965年、1967年のラリーモンテカルロで3勝を挙げていた。

BMW傘下のブランドとして生まれ変わったMINIに対し、プロドライブは「スポーティなイメージを持たせるにはラリー復活が最適」と強くアピール。ただ、1980年代にBMW M3(このクルマもプロドライブが開発)でWRCツール・ド・コルスを制したことがあったものの、BMWのモータースポーツ活動の中心はあくまでもサーキットであり、ラリーへの関心は低かった。

プロドライブが立ち上げたMINIによるWRCプログラムも、「MINI(BMW)ワークス」として参戦するが、BMWによる全面関与はなく、あくまでもホモロゲーションなどマニュファクチャラーとしての協力と、エンジンの供給のみ。参戦予算の多くはプロドライブが工面する必要があったと言われている。プロドライブとしては、とりあずプログラムをスタートさせ、WRCでの活躍をアピールすることで、BMWの関心が高まることを期待していたようだ。

2011年4月に英国・オックスフォードでローンチ

MINIのWRC参戦は、英国・オックスフォードのファクトリーで盛大に行われた。当日は、かつてミニ・クーパーで活躍したレジェンドも傘下。左からラウノ・アールトネン、パディ・ホップカーク、ダニ・ソルド、クリス・ミーク。
MINIのWRC参戦は、英国・オックスフォードのファクトリーで盛大に行われた。当日は、かつてミニ・クーパーで活躍したレジェンドも参加。左からラウノ・アルトーネン、パディ・ホップカーク、ダニ・ソルド、クリス・ミーク。

2011年4月11日、MINIオックスフォード工場においてWRC活動の正式なローンチイベントが開催された。プロドライブが「MINIジョン・クーパー・ワークスWRC」を開発し、英国出身のクリス・ミークとスペイン出身のダニ・ソルドを擁して、「MINI WRCチーム」としてワークス参戦することが発表された。

MINIジョン・クーパー・ワークスWRCは、ホイールベースが短くコンパクトな「クーパー」ではなく、サイズに余裕のあるSUVモデルの「カントリーマン」をベースとし、BMWモータースポーツが開発した1.6リッター直列4気筒ターボを搭載。往年の名チューナーであるジョン・クーパーの名を冠し、カラーリングは1960年代のミニ・クーパーを思わせるレッドとブラックが組み合わせられた。

2010年代のWRCはシュコダ、三菱、スバル、スズキといったメーカーが相次いで撤退し、シトロエンとMスポーツ・フォードの2メーカーのみという厳しいエントリー状況の時代だった。それゆえ、BMWの強力なバックアップを受け(と、当時は思われていた)、ラリーで高い実績を持つプロドライブが運営するMINIのWRC参戦は、大きな歓迎を持って受け止められた。

BMWとプロドライブの関係破綻

プロドライブは想定したサポートを得られず、BMWもまた、プロドライブの要求に「NO」を突きつけ、両者の関係は破綻。2011年のサルディでのデビュー(写真)から1年も経たずに、MINIジョン・クーパー・ワークスWRCのプログラムにピリオドが打たれてしまった。
プロドライブは想定したサポートを得られず、BMWもまた、プロドライブの要求に「NO」を突きつけ、両者の関係は破綻。2011年のサルディニアでのデビュー(写真)から1年も経たずに、MINIジョン・クーパー・ワークスWRCのプログラムにピリオドが打たれてしまった。

4月の参戦発表に続き、2011年シーズンのWRC第3戦ポルトガルでプライベーター向けのS2000仕様がデビュー。第5戦サルディニアでは待望のWRカー「MINIジョン・クーパー・ワークスWRC」が投入され、ソルドがデビュー戦で6位を獲得。続く、第9戦ドイツでは3位、第11戦ツール・ド・コルスでは2位表彰台に上がってみせた。

ミークもシーズン序盤はリタイアが続いたものの、終盤の第12戦カタルニアでは5位、最終戦ラリーGBでは4位を得る。翌年のフル参戦に向けて、チームは2度の表彰台というまずまずの成果を挙げて1年目のシーズンを終えた。

ところが、2011年のシーズンオフ、不穏な空気がチームに漂い始める。プロドライブは2012年に向けた予算を集められず、資金難を理由に2012年開幕戦モンテカルロはミークに代わり、ペイドライバーの起用を発表。そのモンテカルロではソルドが優勝したセバスチャン・ローブに続く2位表彰台を得たものの、現場では「BMWがプロドライブへのサポートを打ち切る」との噂が上がり始める始末だった。

そして、第2戦スウェーデン直前、プロドライブとBMWの関係は破綻。プロドライブ主導によるワークスプログラム「MINI WRCチーム」はキャンセルされ、プライベーターのモータースポーツ・イタリアが運営する「WRCチームMINIポルトガル」が、以降のマニュファクチャラー選手権登録チームとして参戦することになった。

現在もバルト三国のラリーに参戦中

ウクライナのヴァレリー・ゴルバンは、MINIジョン・クーパー・ワークスWRCを購入し、自身のチームで活動を継続。現在もエストニア選手権やラトビア選手権で走り続けている。
ウクライナのヴァレリー・ゴルバンは、MINIジョン・クーパー・ワークスWRCを購入し、自身のチームで活動を継続。現在もエストニア選手権やラトビア選手権で走り続けている。

その年の10月にはBMWが、正式にシーズン限りのWRC撤退を発表。鳴り物入りで登場したMINIジョン・クーパー・ワークスWRCは、わずか2シーズン、しかもフル参戦を一度も経験することなく、表舞台から降ろされることになった。当時、プロドライブは様々なアップデートを計画しており、予定どおりにプログラムが進んでいればMINIにWRC勝利をもたらした可能性も十二分にあったはずなのに、だ。

それでもワークス活動こそ終了したものの、プロドライブはプライベーターへのサポートを継続。その後もWRCや各国選手権を舞台に、MINIジョン・クーパー・ワークスWRCは参戦を続けることになった。

特に、ウクライナ出身のヴァレリー・ゴルバンは2017年までWRCに参戦。その後は、WRカーでの参戦が可能なラトビア、エストニア、ウクライナ、リトアニアなどの国内選手権で、MINIジョン・クーパー・ワークスWRCでの出走を続けている。2022年もエストニア選手とラトビア選手権にエントリー、どちらのラリーでもポディウムフィニッシュを果たしている。

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