1990年代のメルセデス・ベンツによる狂気「190 E エボリューション2」とは

ホモロゲモデル「190 E エボリューション2」はレースへの取り組みが真剣過ぎた1990年代のメルセデス・ベンツを体現

メルセデス・ベンツ 190 E エボリューション2が見せた「革命」とは?
歴史に残る名車、メルセデス・ベンツ 190 E 2.5-16 エボリューション2を詳述する。
モータースポーツへの注力著しいメルセデス・ベンツのヒストリーの中で、1990年代に輝きを放ったホモロゲーションモデルがある。当時のメルセデス製ストリートカーのボトムエンドを担っていた190をベースにリリースされた「190E エボリューション」を解説する。

Mercedes-Benz 190 E 2.5-16 Evolution II

ベイビー・ベンツの強化アスリート「エボ2」

手前から190 E 2.5-16“エボ2”、同じく“エボ1”、一番奥がベースとなった190 E 2.3-16。

1990年3月、メルセデス・ベンツは190 E 2.5-16 エボリューション2をジュネーブ・ショーで発表した。Cクラスの原点といえるW201シリーズに投入された高性能コンパクトサルーンは、ドイツツーリングカー選手権(DTM)をはじめとするグループA規定のホモロゲーション取得を目的に生産された。

“ベイビー・ベンツ”のイメージを塗り替えた190 E 2.5-16 エボリューション2は「エボ2」の愛称で知られる。502台作られた車両はすべてメタリックのブルーブラックカラーで塗装されていた。

車両価格はノーマル仕様の3倍以上

ベイビー・ベンツの強化選手、エボ2は1990年3月8日から18日に開催されたジュネーブ・ショーで初披露された。

エボ2がどれほど特別なモデルであったかということは、11万5259.70マルクからという当時の新車価格が証明している。ちなみに、若者をターゲットに売り出していた190 E 1.8はその3分の1以下の価格で手に入れることができた。ちなみに190 E 1.8の最高出力は109hp、エボ2のそれは2倍以上の235hpを誇っている。

エボ2の正式デビューは1990年3月8日から18日の期間で行われたジュネーブ・ショー。その1年前にメルセデス・ベンツは190 E 2.5-16 エボリューション1を投入している。こちらもやはり1984年に登場した190 E 2.3-16をベースにしてDTM用レースカーのロードリーガルバージョンとして500台が生産されていた。

レブリミット7700rpmの直4は最高373hpを発揮

ベースユニットからショートストローク(82.8mm)及びビッグボア(97.3mm)化したエボ2の直4ユニット。量産仕様で235hp、DTM仕様で373hpを発生した。

エボ2エンジンのベースになったのは、先進エンジン開発部を率いたDr. ヨルグ・アブトフをはじめ、リュディガー・ハルツォク、ダグ-ハラルド・ヒュッテブラウカー、ルドルフ・トムらによって作られたエボ1の2.5リッター直列4気筒ユニット。

ベースユニットからショートストローク(82.8mm)かつビッグボア(97.3mm)化を果たしたエボ2のエンジンには、2基の金属製触媒コンバーターを標準で搭載した。コネクティングロッドの軽量化をはじめ、クランクシャフトのカウンターウェイトを8箇所から4箇所に削減、二重構造だったカムシャフトをシンプルなシングルローラーチェーン駆動へと変更。レブリミットは7700rpmとなっている。

市販のエボ2の最高出力は235hpだが、DTM仕様では373hpまで高められたユニットは、メルセデス・ベンツ開発部門が手掛けた最後のDTMエンジンとなった。以降、そのミッションを担当することになるのがAMGだ。

スポイラー施策により空力面を徹底的に見直し

1990年6月16日にニュルブルクリンクで開催されたADAC24時間レースでデビューを飾ったエボ2。

エボ2のリヤには人々の目を捉えて放さない大型のスポイラーが備わっている。ボックスシルエットの大胆なスポイラーは、ジンデルフィンゲンのメルセデス・ベンツ開発部門に属していた空力エンジニア、リュディガー・ファウルが手掛けた。シュトゥットガルト大学のリヒャルト・レープル教授も開発に携わっている。

後輪にかかるダウンフォースを最適化するべく、リヤスポイラーの上方にはリトラクタブルフラップを設置。リヤのアンダースポイラーはチルト式、フロントのリップスポイラーは向きを2段階で調整できた。

エボ1以上に空力面の改良施策を講じたエボ2は、リヤに最大で57.1kg、フロントには最大21.2kgのダウンフォースを獲得した。また、ボディ剛性の向上と17インチホイールの採用にも踏み切っている。

限界走行でもきわめて優れた操縦性を実現

1990年8月5日のディープホルツ戦で、クルト・ティームがドライバーを務めたゼッケン6号車はエボ2初の勝利を獲得した。

エボ2は業界から賞賛をもって迎えられた。1990年8月23日に発行された『オートモビル レビュー』誌はこう称えている。

「たとえ限界走行であったとしても、この4ドアスポーツカーはオーバーステアにもアンダーステアにも陥ることなくほとんどニュートラルな特性を披露する。様々に変化する環境にも振り回されることがほとんどない。むろん意識的にスロットルを踏み込んでやれば、あくまでドライバーのコントロール下においてオーバーステア体勢へ持ち込むことができるのだ」

『アウト モトール ウント シュポルト』誌の15/1990号のレポートも見てみよう。

「190 E 2.5-16 エボリューション2はまったく素晴らしい真の“G-マシン”であり、メルセデスの中でもっとも操縦性に優れた一台だ。極限のドライビングを目指して作られたサルーンでありながら、メルセデス基準の快適性をもたらすしなやかなサスペンションを備えているのは驚異的だろう」

1992年のDTMでトップ3を席巻

グループA規定のホモロゲーション取得のために502台だけが生産されたエボ2。過激なエアロをまといながらも、意外なことにメルセデス基準の快適性をも兼備していた。

190 E 2.5-16 エボリューション2は戦績の面でも完璧に期待に応えた。1990年6月16日のニュルブルクリンク北コースで初陣を飾り、同年8月5日のディープホルツ戦ではクルト・ティームが初勝利を獲得。同シーズンのDTM最終戦となった10月15日のホッケンハイムでは全ワークスがエボ2を携えて参戦している。

1991年にはクラウス・ルートヴィッヒがランキング2位を奪取、その翌年にはクラウス・ルードヴィッヒが1位、クルト・ティームが2位、ベルント・シュナイダーが3位と、ドライバーズチャンピオンシップのトップ3をすべてエボ2勢が制している。全12ラウンド、24戦が行われた1992年のDTMでエボ2が獲得した勝利数は16にのぼり、ついにメルセデス・ベンツにドライバー、マニファクチュアラーの2冠をもたらした。

190 E 2.5-16 エボリューション2は、メルセデス・ベンツとツーリングカーレースの両方にひとつの「革命」を突きつけた小さな猛者だったのである。

1991年のパリ・ショーで公開されたメルセデス・ベンツ500E。大ヒット作のW124に、ボディに迫力あるブリスター・フェンダーを与えたセダンである。

「続々とドイツへ流出!?」メルセデス・ベンツ500E人気の背景を考察「今ネオクラシックが熱い」

最近クルマ好きの熱い注目を集めているのが「ネオクラシック」だ。粛々と進む電動化の波に抗うよう…

今や伝説となった500Eの最高出力は実に330PS、最大トルクも490Nmと、当時ポルシェ911ターボ(964型)を上回る数値だった。

「500E」「M3」「RS2」「930」、1980〜90年代を彩った名車達を楽しむならどれがいい?「今ネオクラシックが熱い」

近年自動車メーカーが自ら「ヤングクラシック」「ネオクラシック」と呼んで、往時の名車に再び光を…

キーワードで検索する

著者プロフィール

三代やよい 近影

三代やよい

東京生まれ。青山学院女子短期大学英米文学科卒業後、自動車メーカー広報部勤務。編集プロダクション…